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July 20, 2024

「40歳になって考えた父親が40歳だった時のこと」吉田貴司

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〇「40歳になって考えた父親が40歳だった時のこと」吉田貴司(幻冬舎)


40歳になって自らも家族を持った漫画家が酒乱の父と浪費家の母に挟まれた、まあまあハードだった幼少期の父や母との話を思い出すように断片的に描く。
著者は『やれたかも委員会』の作者だが、当然空気感が全然違う。
が、会話の中に「間」があることや、「一般的には理解されないことだと思うが、そのとき自分は本当にそう思ってた」という記述が平熱で描かれるあたりは共通する部分があるかもしれない。

自分の家が子供の頃にどういう環境だったのか、親はどうしてあの時こんなことを言ったのか、時間が経ってからわかることは多い。
本当の貧乏というのは「みなで一匹のめざしを食べる」的なわかりやすいことではなく、買ったのに使わないものが家にずっとあり、家の電気はつけっぱなしで、それなのに家にお金はなくて借金をしている、という話がリアルだった。
いい話かといえばそうではないし、感動的なエピソードは出てこない。
ただ、中年になった自分にはとても沁みた。

著者が小学生である息子の小さな失敗を見て出てくる、

全然できていないのに完璧だと思うことって子供にはある
いや、子供だけじゃないかもしれん

マンガを描くこととか
夫婦の関係とか
正解がないことっていっぱいある

父親になることとか

できていないことに気づいてないだけかもしれない
そしてもう誰も教えてくれない

という呟きが重い。

そう、中年になると教えてくれる人はいない。
正解も不正解も誰もジャッジしてくれない選択を、「これでよかったんだ」と信じながら進むしかない。


私が父親と一番濃密な時間を過ごした小学生時代、父は40代後半から50代前半だった。
ちょうど自分が今その年齢になって思う。

父は小さな子どもと過ごす時間が楽しかったのではないか。
自分一人では行かない場所、やらないこと、子供を連れていくことでできたのではないか。
一方で父は生きていく上で生まれる、やり場のない鬱屈をどうしていたんだろうか。
話せる人間はいたのだろうか。

読んだ本がトリガーになって、つい自分のことを考えてしまう。
ずっと手元に置いておきたいのは、そういう本だ。
この本もそのうちの一冊として本棚に並ぶことだろう。

 

 

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