« 夏季休業のおしらせ | Main | 「言語学バーリトゥード2 言語版SASUKEに挑む」川添愛 »

July 30, 2024

『小山田圭吾「炎上」の嘘』中原一歩

20240724_104526

 

『小山田圭吾「炎上」の嘘』(中原一歩著 文藝春秋)


2021年の東京五輪開催直前、開会式の音楽担当として発表された小山田圭吾は、過去の雑誌インタビューで「学生時代に障がい者をいじめた」と話した記事がネットで紹介され、炎上する。
開会式5日前ということもあって一度は謝罪しながら職務を務める旨を発表したが炎上はさらに加速し、結局開催直前で担当を降板する。

小山田は五輪終了後、週刊文春の取材に対して「あのインタビュー記事は、実際に自分が行ったことと、そうではないことが混ぜられた書き方になってしまっていた」と語った。その上で「当時自分はその訂正を求めなかった」と。
あの炎上事件はどうして起きたのか。
実際のところ、小山田によるいじめはあったのか。
小山田、関係者、かつての同級生たちと多くの人間への丹念な取材をもとに構成した、「事実」をたどるノンフィクション。

よくここまで取材したな、という感想がまず出てくる。
著者の中原は小山田の言い分を丁寧に聞く一方で、「小山田のいじめは本当にあったのか」を検証するために、現在は小山田と利害関係のない同級生」を探し当てて取材している。
その同級生が最初に発した「圭吾ってそんなキャラだっけ?」という言葉が、この調査を始めたきっかけだったという。

中原は「どちらか側」だけの視点に寄らない。
小山田の釈明を丁寧に聞きながら、並行してその話が事実なのかウラをとっていく。
その結果判明するのは当該記事が小山田の話したいくつかの子ども時代のエピソードが混同されて記事が作られ、それが訂正されることなく紙媒体として掲載され、修正されることなく残り、ネットで拡散したという経緯だ。

「小学生のときになんでも口に入れる同級生がいて、あるときそいつが道端の犬の糞まで口に入れてしまって吐き出した」話と、「中学生の修学旅行の時に、部屋でプロレスごっこをしていたら一歳上の先輩が来てしまって同級生を裸にして布団でグルグル巻きにした」話が一緒になって
「全裸でグルグル巻きにしてウンコ喰わせてバックドロップして」という見出しになっていた。

小山田は当時この雑誌が出たときに訂正・修正を求めなかった。
90年代、インターネットがない時代。
雑誌に書かれたことは「読んでいる人だけが知る」ものであり、しかも当該の雑誌は月刊誌で、一か月すれば書店の店頭から消えていた。
消えてしまえば、もうその記事を見る人はいない。
拡散されることがないのだから、「誰かの言葉」の扱いが、今と全然違ったのだ。

小山田はその前から「雑誌に事実と違うことを書かれる」ことが多々あり、慣れっこになっていた、
だから「なんだかな~」と思いながら、このときも修正を求めなかった。
このことが、結果的にずっと「喉に刺さった棘」のようになり、それが一番酷い形で暴発した。
   
この本ではオリンピックに関心がなかった小山田が開会式の音楽担当をすることになった経緯、炎上が始まって広がり降板するまで、その後音楽活動を復活させるまでの小山田とその周辺の人々の出来事が詳細に書かれる。
一番酷い時期には殺害予告が届き、小山田と家族は家に帰れない時期もあった。
炎上するSNSを見てしまい、次々仕事が休止していく中で眠れない日々を送っている。
正直、思い詰めてもおかしくない環境だった。


この本を読んだ人の中には、最後まで取材に応じなかった当時の雑誌編集者や、炎上当時不確定情報で小山田を叩いたテレビタレントを批判する人がいる。
考えてほしい。
すぐにわかりやすい「悪」を作って叩くことがそもそもの原因ではないか。
小山田から別の人に移すのは、いじめの標的を変えているだけではないか。

私は、取材に応じなかった当時の雑誌編集者の理由がわかる気がする。
もう、これ以上収まってきた火をまた広げてほしくない、という気持ちではないか。それによって自分も、自分の近しい人も、ダメージを負うのに耐えられないのではないか。
「正しい」を追求することで傷つく人がいるなら、「正しくない」でかまわない─そう判断したということではないか。
私はこの編集者の対応は、仕方ないことだという気がする。

炎上から一年が経過し、ずっと休んでいた音楽活動を再開するにあたって、小山田はそのことでまた暴風雨のようにバッシングされるだろうと身構えていた。
が、実際にはほとんど何も反応がなかった。
良くも悪くも「民」の怒りは次の人に向かっていた。
小山田と、その周囲の関係者は「あれはなんだったんだろう」と思ったという。

「悪」を攻撃したい、というエネルギーの集積は恐ろしいほどの熱量があり、それは簡単に、本当に簡単に誰かの精神を潰してしまう。
そのことをスマホに向かう我々も、伝えるメディア側も、今も理解されないまま進んでいることをこの本を読んで否応なく実感させられる。

 

« 夏季休業のおしらせ | Main | 「言語学バーリトゥード2 言語版SASUKEに挑む」川添愛 »

Comments

Post a comment

Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.

(Not displayed with comment.)

« 夏季休業のおしらせ | Main | 「言語学バーリトゥード2 言語版SASUKEに挑む」川添愛 »