「暗躍の球史 根本陸夫が動いた時代」高橋 安幸(集英社)
〇「暗躍の球史 根本陸夫が動いた時代」高橋 安幸(集英社)
西武ライオンズ、福岡ダイエーホークスで意表を突くドラフト戦略を駆使したスカウティング、主力選手同士の超大型トレードを成立させ、弱小チームを常勝軍団に変えていく手腕を発揮した根本陸夫。
栗山英樹、松沼博久、渡辺久信、鹿取義隆、愛甲猛といった根本と縁があった元選手、さらに側近だった浦田直治、黒田正宏などの新証言をもとに、「球界の寝業師」と呼ばれたその手腕や知られざる人柄を浮かび上がらせるノンフィクション。
面白かった。
「フィクサー」「暗躍」という言葉に象徴される、水面下での交渉・工作を得意とした後年の片鱗がすでに子供時代からあったエピソードや、GM以前の近鉄・広島時代、西武、ダイエーそれぞれの時代で共に仕事をしてきた人間による詳細な証言などで構成され、知らなかった話が多かった。
数々の逸話の中でもひときわ印象に残るのが、王貞治にダイエーホークスの監督を受けてもらうまでの交渉である。
根本が最初に王に監督就任の話をしたのは1993年春。
自身がホークスの監督に就任してすぐの頃だ。
引き受けた当時のホークスの戦力もあり、根本は最初から自分が監督として結果を出せるとは考えていなかった。
チームの土台を作り、監督をしかるべき人間にバトンタッチすることが自分の仕事と考えていた。
そのバトンを任せる人間に、根本は長嶋茂雄と並んで日本プロ野球を象徴する野球人・王貞治をずっと考えていた。
日本人選手が活躍するメジャーリーグのほかに、12球団それぞれの細かい情報に簡単にアクセスできる今と違い、当時はメディアが扱う中継や情報に偏りがあり、ジャイアンツはその注目度が甚大に大きかった。
首都圏で唯一試合がテレビ中継されるプロ野球チーム。
そのジャイアンツでホームラン世界記録を作り、監督にもなった王貞治はプロ野球を引っ張ってきたビッグスターであり、そんな大物がパ・リーグ球団の監督になるとは当時は考えられないことだった。
しかし根本は「王(わん)ちゃんは絶対受ける。野球人だからな」と交渉を担当した部下の瀬戸山隆三に予言していた。
ジャイアンツの監督として過ごした5年間で優勝は一度あったものの日本シリーズで西武ライオンズに敗れ、日本一を手にすることはできなかった。
監督としては微妙な評価でジャイアンツを出た王を根本は強引に誘うことなく、長い期間をかけて「ホークス、やらないか」と声をかけ続けた。
同年、ジャイアンツの監督には王の生涯のライバル、長嶋茂雄が二度目の就任をしていた。
長嶋は絶大な人気があり、結果が伴えば長期政権も予想された。
根本の打診を断り続けた王の頭に「このあと、もう巨人には自分が戻る場所はないのかも…」という気持ちが出てくる。
そして「もしもう一度監督をやるなら、セ・リーグではなくパ・リーグ、それも首都圏ではないチームに行くのがいいのかも」という思いが出てくる。
そして5回目の交渉で、王はホークスの監督を引き受ける─。
根元が王に固執した背景には、Jリーグの誕生と、注目度の高さがあった。
野球人気の低下が懸念されだした時期である。
根本は「ON対決」を実現させることが野球人気につながると考えていた。
後年、2000年にそのON対決は実現するのだが、それを見ることなく根本は1999年4月に亡くなってしまった。
プロ野球に限らず、いろんな世界に「裏」がある時代だった。
報道されるような、表向きで語られることとは違う、要人だけが顔を合わせたときに出てくる本音、野望、目論見。
根本はその「裏の声」を吸い上げ、まとめ、人を集めて球団強化につなげていった。
1980年代から90年代にかけてのプロ野球界で、栄枯盛衰の多くの部分を根本陸夫の「人脈」が強く影響していたことをうかがわせる一冊である。
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