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July 2024

July 30, 2024

『小山田圭吾「炎上」の嘘』中原一歩

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『小山田圭吾「炎上」の嘘』(中原一歩著 文藝春秋)


2021年の東京五輪開催直前、開会式の音楽担当として発表された小山田圭吾は、過去の雑誌インタビューで「学生時代に障がい者をいじめた」と話した記事がネットで紹介され、炎上する。
開会式5日前ということもあって一度は謝罪しながら職務を務める旨を発表したが炎上はさらに加速し、結局開催直前で担当を降板する。

小山田は五輪終了後、週刊文春の取材に対して「あのインタビュー記事は、実際に自分が行ったことと、そうではないことが混ぜられた書き方になってしまっていた」と語った。その上で「当時自分はその訂正を求めなかった」と。
あの炎上事件はどうして起きたのか。
実際のところ、小山田によるいじめはあったのか。
小山田、関係者、かつての同級生たちと多くの人間への丹念な取材をもとに構成した、「事実」をたどるノンフィクション。

よくここまで取材したな、という感想がまず出てくる。
著者の中原は小山田の言い分を丁寧に聞く一方で、「小山田のいじめは本当にあったのか」を検証するために、現在は小山田と利害関係のない同級生」を探し当てて取材している。
その同級生が最初に発した「圭吾ってそんなキャラだっけ?」という言葉が、この調査を始めたきっかけだったという。

中原は「どちらか側」だけの視点に寄らない。
小山田の釈明を丁寧に聞きながら、並行してその話が事実なのかウラをとっていく。
その結果判明するのは当該記事が小山田の話したいくつかの子ども時代のエピソードが混同されて記事が作られ、それが訂正されることなく紙媒体として掲載され、修正されることなく残り、ネットで拡散したという経緯だ。

「小学生のときになんでも口に入れる同級生がいて、あるときそいつが道端の犬の糞まで口に入れてしまって吐き出した」話と、「中学生の修学旅行の時に、部屋でプロレスごっこをしていたら一歳上の先輩が来てしまって同級生を裸にして布団でグルグル巻きにした」話が一緒になって
「全裸でグルグル巻きにしてウンコ喰わせてバックドロップして」という見出しになっていた。

小山田は当時この雑誌が出たときに訂正・修正を求めなかった。
90年代、インターネットがない時代。
雑誌に書かれたことは「読んでいる人だけが知る」ものであり、しかも当該の雑誌は月刊誌で、一か月すれば書店の店頭から消えていた。
消えてしまえば、もうその記事を見る人はいない。
拡散されることがないのだから、「誰かの言葉」の扱いが、今と全然違ったのだ。

小山田はその前から「雑誌に事実と違うことを書かれる」ことが多々あり、慣れっこになっていた、
だから「なんだかな~」と思いながら、このときも修正を求めなかった。
このことが、結果的にずっと「喉に刺さった棘」のようになり、それが一番酷い形で暴発した。
   
この本ではオリンピックに関心がなかった小山田が開会式の音楽担当をすることになった経緯、炎上が始まって広がり降板するまで、その後音楽活動を復活させるまでの小山田とその周辺の人々の出来事が詳細に書かれる。
一番酷い時期には殺害予告が届き、小山田と家族は家に帰れない時期もあった。
炎上するSNSを見てしまい、次々仕事が休止していく中で眠れない日々を送っている。
正直、思い詰めてもおかしくない環境だった。


この本を読んだ人の中には、最後まで取材に応じなかった当時の雑誌編集者や、炎上当時不確定情報で小山田を叩いたテレビタレントを批判する人がいる。
考えてほしい。
すぐにわかりやすい「悪」を作って叩くことがそもそもの原因ではないか。
小山田から別の人に移すのは、いじめの標的を変えているだけではないか。

私は、取材に応じなかった当時の雑誌編集者の理由がわかる気がする。
もう、これ以上収まってきた火をまた広げてほしくない、という気持ちではないか。それによって自分も、自分の近しい人も、ダメージを負うのに耐えられないのではないか。
「正しい」を追求することで傷つく人がいるなら、「正しくない」でかまわない─そう判断したということではないか。
私はこの編集者の対応は、仕方ないことだという気がする。

炎上から一年が経過し、ずっと休んでいた音楽活動を再開するにあたって、小山田はそのことでまた暴風雨のようにバッシングされるだろうと身構えていた。
が、実際にはほとんど何も反応がなかった。
良くも悪くも「民」の怒りは次の人に向かっていた。
小山田と、その周囲の関係者は「あれはなんだったんだろう」と思ったという。

「悪」を攻撃したい、というエネルギーの集積は恐ろしいほどの熱量があり、それは簡単に、本当に簡単に誰かの精神を潰してしまう。
そのことをスマホに向かう我々も、伝えるメディア側も、今も理解されないまま進んでいることをこの本を読んで否応なく実感させられる。

 

July 27, 2024

夏季休業のおしらせ

 

いつも伊野尾書店をご利用いただきありがとうございます。

8月の下記4日間を夏季休業とさせていただきます。


8/11(日)~ 8/14(水) 休業

8/15(木) 11:00~19:00営業

8/16(金)~ 通常営業再開


ご迷惑をおかけいたしますが、よろしくお願いいたします。


伊野尾書店

※8/10~8/15の期間、新刊の発売はありません

 

July 20, 2024

「暗躍の球史 根本陸夫が動いた時代」高橋 安幸(集英社)

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〇「暗躍の球史 根本陸夫が動いた時代」高橋 安幸(集英社)


西武ライオンズ、福岡ダイエーホークスで意表を突くドラフト戦略を駆使したスカウティング、主力選手同士の超大型トレードを成立させ、弱小チームを常勝軍団に変えていく手腕を発揮した根本陸夫。
栗山英樹、松沼博久、渡辺久信、鹿取義隆、愛甲猛といった根本と縁があった元選手、さらに側近だった浦田直治、黒田正宏などの新証言をもとに、「球界の寝業師」と呼ばれたその手腕や知られざる人柄を浮かび上がらせるノンフィクション。

面白かった。
「フィクサー」「暗躍」という言葉に象徴される、水面下での交渉・工作を得意とした後年の片鱗がすでに子供時代からあったエピソードや、GM以前の近鉄・広島時代、西武、ダイエーそれぞれの時代で共に仕事をしてきた人間による詳細な証言などで構成され、知らなかった話が多かった。

数々の逸話の中でもひときわ印象に残るのが、王貞治にダイエーホークスの監督を受けてもらうまでの交渉である。
根本が最初に王に監督就任の話をしたのは1993年春。
自身がホークスの監督に就任してすぐの頃だ。
引き受けた当時のホークスの戦力もあり、根本は最初から自分が監督として結果を出せるとは考えていなかった。
チームの土台を作り、監督をしかるべき人間にバトンタッチすることが自分の仕事と考えていた。
そのバトンを任せる人間に、根本は長嶋茂雄と並んで日本プロ野球を象徴する野球人・王貞治をずっと考えていた。

日本人選手が活躍するメジャーリーグのほかに、12球団それぞれの細かい情報に簡単にアクセスできる今と違い、当時はメディアが扱う中継や情報に偏りがあり、ジャイアンツはその注目度が甚大に大きかった。
首都圏で唯一試合がテレビ中継されるプロ野球チーム。
そのジャイアンツでホームラン世界記録を作り、監督にもなった王貞治はプロ野球を引っ張ってきたビッグスターであり、そんな大物がパ・リーグ球団の監督になるとは当時は考えられないことだった。

しかし根本は「王(わん)ちゃんは絶対受ける。野球人だからな」と交渉を担当した部下の瀬戸山隆三に予言していた。
ジャイアンツの監督として過ごした5年間で優勝は一度あったものの日本シリーズで西武ライオンズに敗れ、日本一を手にすることはできなかった。
監督としては微妙な評価でジャイアンツを出た王を根本は強引に誘うことなく、長い期間をかけて「ホークス、やらないか」と声をかけ続けた。
同年、ジャイアンツの監督には王の生涯のライバル、長嶋茂雄が二度目の就任をしていた。
長嶋は絶大な人気があり、結果が伴えば長期政権も予想された。
根本の打診を断り続けた王の頭に「このあと、もう巨人には自分が戻る場所はないのかも…」という気持ちが出てくる。
そして「もしもう一度監督をやるなら、セ・リーグではなくパ・リーグ、それも首都圏ではないチームに行くのがいいのかも」という思いが出てくる。
そして5回目の交渉で、王はホークスの監督を引き受ける─。

根元が王に固執した背景には、Jリーグの誕生と、注目度の高さがあった。
野球人気の低下が懸念されだした時期である。
根本は「ON対決」を実現させることが野球人気につながると考えていた。
後年、2000年にそのON対決は実現するのだが、それを見ることなく根本は1999年4月に亡くなってしまった。

プロ野球に限らず、いろんな世界に「裏」がある時代だった。
報道されるような、表向きで語られることとは違う、要人だけが顔を合わせたときに出てくる本音、野望、目論見。
根本はその「裏の声」を吸い上げ、まとめ、人を集めて球団強化につなげていった。
1980年代から90年代にかけてのプロ野球界で、栄枯盛衰の多くの部分を根本陸夫の「人脈」が強く影響していたことをうかがわせる一冊である。

「40歳になって考えた父親が40歳だった時のこと」吉田貴司

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〇「40歳になって考えた父親が40歳だった時のこと」吉田貴司(幻冬舎)


40歳になって自らも家族を持った漫画家が酒乱の父と浪費家の母に挟まれた、まあまあハードだった幼少期の父や母との話を思い出すように断片的に描く。
著者は『やれたかも委員会』の作者だが、当然空気感が全然違う。
が、会話の中に「間」があることや、「一般的には理解されないことだと思うが、そのとき自分は本当にそう思ってた」という記述が平熱で描かれるあたりは共通する部分があるかもしれない。

自分の家が子供の頃にどういう環境だったのか、親はどうしてあの時こんなことを言ったのか、時間が経ってからわかることは多い。
本当の貧乏というのは「みなで一匹のめざしを食べる」的なわかりやすいことではなく、買ったのに使わないものが家にずっとあり、家の電気はつけっぱなしで、それなのに家にお金はなくて借金をしている、という話がリアルだった。
いい話かといえばそうではないし、感動的なエピソードは出てこない。
ただ、中年になった自分にはとても沁みた。

著者が小学生である息子の小さな失敗を見て出てくる、

全然できていないのに完璧だと思うことって子供にはある
いや、子供だけじゃないかもしれん

マンガを描くこととか
夫婦の関係とか
正解がないことっていっぱいある

父親になることとか

できていないことに気づいてないだけかもしれない
そしてもう誰も教えてくれない

という呟きが重い。

そう、中年になると教えてくれる人はいない。
正解も不正解も誰もジャッジしてくれない選択を、「これでよかったんだ」と信じながら進むしかない。


私が父親と一番濃密な時間を過ごした小学生時代、父は40代後半から50代前半だった。
ちょうど自分が今その年齢になって思う。

父は小さな子どもと過ごす時間が楽しかったのではないか。
自分一人では行かない場所、やらないこと、子供を連れていくことでできたのではないか。
一方で父は生きていく上で生まれる、やり場のない鬱屈をどうしていたんだろうか。
話せる人間はいたのだろうか。

読んだ本がトリガーになって、つい自分のことを考えてしまう。
ずっと手元に置いておきたいのは、そういう本だ。
この本もそのうちの一冊として本棚に並ぶことだろう。

 

 

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