「イラク水滸伝」高野秀行
〇「イラク水滸伝」高野秀行(文藝春秋)
「誰も行かないところへ行き、誰もやらないことをし、誰も書かない本を書く」という活動で知られる辺境作家・高野秀行さんの新作。
イラクのティグリス川、メソポタミア川周辺に存在する巨大湿地帯〈アフワール〉。
そこは古くから権力に抗うアウトローや、迫害されたマイノリティが逃げ込む場所だった。
とある新聞記事をきっかけにそこへ向かうことになった高野さんは『世界で一番川を旅した男』の異名を持つ山田隊長をパートナーにいざ〈アフワール〉に乗り込むが、これが予定外に予定外を重ねる大変な旅の始まりだった…!
東京生まれで、アウトドアにも縁遠い私が「湿地」と聞いて最初に浮かべるのは尾瀬である。
なので「巨大湿地帯」と聞くと「イラク国内にあるえらい広い尾瀬」みたいな場所を連想し、そんなところに高野さんは行ったのかな…と思ってページを開くとそこに載ってるのは川だった。
https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163917290
え、これが湿地帯?川じゃなく?
これが場所によっては川みたいになっていて船で移動し、同じ湿地帯でも別の場所では水の無い巨大な道路になってそこを車で通ったりするそう。
高さ8メートルくらいの葦が生えててジャングルみたいになってる写真もある。
イラクは各都市での内戦やテロ事件が報道されるが(地上派ニュースで見る機会は減ってきている)、この湿地帯についての報道や調査はほとんどされていない。
そこは古代メソポタミア文明発祥の地であるにもかかわらず。
そういう場所を見つけた高野さんは俄然、そこに行ってみようとする。
しかし最初に向かった2018年の段階でイラクは渡航中止勧告が出ている状況であり、イラク国内に到着したらしたでまた大変な思いをする。
なぜなら湿地帯のあるイラク地方部はほぼ外国人の訪問者がないエリアであり、そこに向かった高野さんたちは紹介こそ得ていたもののたびたび「不審者」と見なされてしまう…。
そんな場所でも高野さんは持ち前の語学力と「現地語ギャグ」をいかしたコミュニケーション能力で、仲間を増やし調査を進めていく。
「美味しくて苦しい」というイラク料理、「マアダン」という湿地民の暮らし、「新世紀エヴァンゲリオン」のような終末思想の古代宗教・マンダ教、フセイン軍に激しく抵抗した「湿地の王」、資産家でなくても妻を複数娶るための衝撃的な奇習「ゲッサ・ブ・ゲッサ」、イスラム文化を逸脱した美しいマーシュアラブ布。
知らない話しか出てこない。
なにより、イラクの辺境で生きる人々が、今となりにいるかのようにリアルに迫ってくる会話と出来事。
あらためて本というのは「自分で体験できないこと」を追体験するエンターテイメントだと実感する。
「戦禍の国」というイメージだったイラクが、この本を読んでからブリコラージュ(寄せ集めて自分で作る)文化と鯉料理の国、というイメージに変わりつつある。
ゲーマル(水牛のクリーム)食べてみたい。
(H)