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July 02, 2020

「『影の総理』と呼ばれた男 野中広務 権力闘争の論理」菊池正史

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〇「『影の総理』と呼ばれた男 野中広務 権力闘争の論理」菊池正史(講談社現代新書)

 

『女帝 小池百合子』を読んだあと、小池百合子と対極的な位置にいた政治家の話を読みたいと思ってこの本を読んだ。

野中広務には長らく「自民党保守派の実力者」というイメージを持っていた。
しかし「どのようにして実力者になったのか」を私は全然知らない。
そのうち小泉純一郎との政争に敗れる形で政界を引退した。

野中に対して印象が変わるのは辛淑玉との共著で「差別と日本人」( 角川新書)という本を出した時だ。
野中はその本で自らを被差別部落の出身者であることを明かしていた。
そのことを明かすんだ―そこから少し野中のことを気にするようになった。
「影の総理」「ヌエのよう」と称された、陰で暗躍する政治家の代表のように思っていた野中は、一方で差別と戦争問題に長く立ち向かってきた政治家でもあった。

『女帝 小池百合子』では「小池百合子というフィルターを通して見た、ここ30年ほどの日本政治史」が描かれる。
小池は政党の趨勢が絶えず変化していく時代の中で「どのような政策を掲げるか」より「いかにメディアにアピールするか、いかに派閥の中で発言力を持つポジションにいくか」こそが政治家のキャリアアッププランであるととらえ、実行していた。
それは他の政治家から見てもそうなのか?ということが私の中で疑問になっていた。

「『影の総理』と呼ばれた男」で描かれるのは「野中広務というフィルターを通して見た、1980年代から2000年代初期にかけての日本政治史」である。
小池百合子と重なっている時代もあるが、少し違う。

「いかに派閥の中で発言力を持つポジションにいくか」は野中も同じだった。
ただし、野中は小池のような「そのとき権勢を持った人間に取り入り、落ちてくると別の人間の元に移る」といった方法ではなく、「自分の党にとって有益になると判断したことを続けていたら自然と地位が上がっていった」感じであった。
「党」が「党員」よりもされる優先されるため、時には他人に冷たい判断もあった。ゆえに恐れられたり、嫌われたりもする。

そんな野中が常に持っていたもの。
それが「戦争を再び起こしてはならない」「弱者は救わなければならない」という強い気持ちだった。
野中の行動には常にこの二つの気持ちと、「自党を安定させる」という現実的な取り組みが同時に作用していた。
また戦時中の軍部から学んだ「一極集中した権力は必ず誤りを犯す」という思考があり、自らは権力闘争を仕掛けるものの、それによって得た権力はあっさり手放したりする。
こういった思想は小池にはまったくない。


野中には“出自の物語”がある。

京都の部落出身者。
徴兵され軍に召集。
四国でアメリカ軍の敵襲に備えた状態で敗戦を知り、仲間とともに殉死しようとしたところを上官に殴られて止められている。
その際「死ぬつもりがあるなら、この国のために働け」と叱責され、国のために身を費やすことを決意する。

これは政治家になった野中が自分をプロモーションするために語っていた“物語”だ。
“物語”ではあるが、その中には幾層もの“真実”が織り込まれている。

復員した野中は、召集前に働いていた大阪鉄道局に復職する。
部署は「業務部審査課旅客係」。
出改札の管理、車掌の審査、社内の不正の摘発、防止が主な業務だった。
ここで野中は不正防止策を立案し、その実行のために社内組織を調整するなどして「会社員」としてメキメキ実績をあげていった。
社内の評価は高く、あっという間に出世していった。

しかし、早すぎる出世は嫉妬の対象となる。

1950年(昭和25年)、野中は自分の口利きで入社させて面倒を見た後輩が自分のいないところでこう語ったのを聞いてしまう。

「野中さんは大阪では飛ぶ鳥を落とす勢いだが、あの人は地元に帰ったら部落の人や」

野中の出世を快く思っていなかった人間たちがそれを騒ぎ立て、ショックを受けた野中は地元に帰る。

その後、「この国のために働け」と言った上官の言葉を思い出し、「地元をよくしよう」という思いから町会議員になる。このとき野中は25歳。
ここから長い、50年近く続くことになる野中の政治家人生が始まる。
その“一人の政治家として生きた男の物語”をこの本で読んでほしい。

 

 
戦争の惨(むご)さを、戦争を知らない世代に知ってもらうこと。

社会的弱者が同じ地平で生きられるようにすること

権力が集中した一人の“決められるリーダー”に任せていると、必ずどこかで失敗すること。それを周りは止められないこと。


野中広務が生涯をかけて訴えていたことは、残念ながら2020年の現在、政治的には軽視されている。
メディアも取り上げない。あるいは取り上げられないのかもしれない。

ただ言えるのは、「どうしてこうなった」という社会には、かならずそこに至る「分岐点」があった、ということだ。
私たちはそのことを知らない。
あるいは、知っててもすぐ忘れてしまう。

だからこそ、歴史を常に知っておかないといけない。
それも、いろんな人から見た「それぞれの歴史」を。

 

 

野中広務

「愛のない社会は暗黒であり、汗のない社会は堕落である」

(1983年、京都二区補欠選挙での演説から)

 


「調整重視の「和の政治」では、たしかにリーダーの理念や理想は妥協を余儀なくされることがある。
根回しもあれば、かけひき、取引もある。カネが動くことだってあっただろう。
それでも、一部のエリートが独善的に暴走すること、狂信的に理念に執着することの方がはるかに危険なのだ。

―これは重要な戦争の教訓だった」(「第四章 反逆者との闘い」)

 

 

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