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June 14, 2020

カツセマサヒコ「明け方の若者たち」

大学四年の卒業論文に私は「マーク・トウェインと日本の小説に見る『青春小説』の違い」というテーマを選んだ。
「書きたかった」というより「これなら書けそうだった」という理由で。
日本の作家の「青春小説」には灰谷健次郎、重松清、そしてビートたけしの小説を挙げた。
今思えば「どうしてこの選出なんだろう」と思うが、そのころに目に入った作品を適当に選んでいただけだ。

卒論を読んだ先生との面談の日。

研究室で先生は開口一番、こう言った。

「伊野尾くんのは…なんていうか、陳腐ですねえ」

別に先生を驚かせるような内容を書いたとも思ってなかったし、実際陳腐な内容だったんだろうと思う。

それでも1か月半くらいかけて書いた論文なのだ。そう評されるとカチンとくる。

カチンとくるが「どこが陳腐なんですが、この論文のこういうところは凄いでしょう!」と言えるほどの自信もないから、「陳腐ですか」とヘラヘラしながら返した。

そして

「なんだよ、ゼミ合宿のときに『車で行くなら乗っけてほしい』っていうから新宿から河口湖まで往復乗せてやったじゃねえかよ」
「ゼミの女子学生を入れて宴会やりたいって言うからセッティングしてやったじゃねえかよ」

とかそんなことを考えていた。

そんな先生だったし、そんな学生だった。
どうしようもない1997年の大学生。
陳腐な論文で私は「可」をもらい、大学を卒業した。


大学は1・2年生と3・4年生でキャンパスが違った。

1・2年生の通っていたキャンパスの近くには安く飲める沖縄料理の居酒屋があって、そこの2階は10人くらい集めれば貸し切りにさせてくれるのでよく飲み会に使っていた。
飲み過ぎてへべれけになった学生には、布団を貸して泊まることのできるサービスを提供していたそうだが、あいにく自分は泊まったことはない。

3・4年生になるとキャンパスが変わるので当然行動するエリアも変わるのだが、なぜか飲み会は1・2年キャンパスのそばにあるその沖縄料理の店で行うことが多かった。
女子がいたことはほとんどなく、いつも男ばかりで馬鹿みたいに騒いでた。

騒いでいた、という記憶はあるが、誰がどんな話をしていたとか、何か事件が起きたとかいう記憶がない。
きっと何かしらあったんだろうけど、忘れてしまったか、あるいは知らないままに今に至ってる。


ただ一つだけはっきり覚えている光景がある。


大学を出て半年くらい経った時だ。


仲の良かった連中7~8人で、やはりその店に集まって飲んだ。
卒業して半年だから、基本的には何も変わってない。
ただそれぞれ企業に就職したり、大学院に進んで研究をしてたり、教員になったり、それぞれの道に進んでいた。

僕は何もしていなかった。
なりたかったプロレス誌記者にもなれず、石にかじりつくようにそこに近い職を求めたわけでもなく、なあなあでやってた就職活動は内定も取れず、結局アルバイトをしながら親元で日々をすごしていた。
ぼんやりと「なりたいもの」はあっても「点」でしかとらえておらず、「募集」が出なければなれないものだと思い込んでいた。

飲み会後、国道沿いの歩道を3~4人で歩いてるときに二浪して二歳上だけど同級生だった、仲間内のリーダー格だったK君が言った。

「で、どうするのこれから」

なにかモゴモゴしたことを答えた気がする。
するとK君が

「まあおまえは親の仕事継げばいいよ」

そこを仲間のA君が「そうだよな、いいじゃん伊野尾書店」と囃した。

僕は「こいつらなにもわかってないで適当なこと言いやがって」というイラっとした気持ちと、やはりどこかで自分もそう考えてて「見抜かれてる…!」と焦った気持ちが半々ずつあって、なんて言っていいかわからず、不機嫌になった。
なにかしら言い返したような気もする。

学生の時の飲み会は、終わると誰かの家に行くのが二次会だった。
もちろん僕の家に来ることもよくあった。
このときもそうなるのだろう、と思ってたらK君が「じゃあ帰るか」とあっさり言った。
「え!?そうなの?」と思ってたらA君も「いいじゃん帰ろうぜ」と同調した。

その日は土曜日で、二人とも次の日仕事があるわけではない。
にもかかわらず、帰ろうと言ってる。

これかあ。
卒業するっていうのは、こういうことなのか。

そのときの夜の歩道の光景を、僕は今でも覚えている。
そして、年がら年中集まっていた僕らがその沖縄料理の店で飲んだのは、その日が最後だ。

 

 

 

先日、ライターのカツセマサヒコが書いた小説「明け方の若者たち」を読んだ。


内定の決まった男子大学生が、なんとなくで参加した飲み会で一人の女の子と出会う。
そこから二人の物語が始まる。
彼は「将来なりたかった夢」とまでは呼べないが「まあまあ俺、いいところじゃない?」というような会社に就職し、そこで志望していたのとは違う職種を与えられる。
「こんなんじゃない」という思いが日々の生活で薄まっていく中、彼女との関係も少しずつ変わっていく…。


「なりたい自分」と「今いる自分」の差異にもがき、「求めたい人」と距離を縮め、同じ時間を過ごし、やがて関係が少しずつ変わっていく。
ど真ん中の青春小説だった。

描かれるのは、かつて自分も通った道だ。
あの夜の国道のように。
年月が経って国道近くの景色が少し変わってるように、2010年代の青春を生きる主人公と1990年代に青春を送った自分とでは少し景色が違ってる。
でも、根っこの部分は同じだ。

「自分」がわからない。
「相手」がわからない。
だからもがき苦しむ。


物語の冒頭で、主人公が「16文字のメッセージを送ってくる」彼女と出会ったのは、まさしく僕らが行っていたあの沖縄料理の店がモデルだ。
20何年か前に、僕も主人公のように自分の人生がわからなかった。
「人生で一番の」と、そのときはそう思っていた人との時間があった。


そのことを僕はいま「小説を読んだ本屋の店員として」発信している。
「おまえは親の仕事継げばいいよ」と言われたK君の言う通り、本屋になって。


「青春と呼ばれた日々」はもう過ぎた。
現実の日々に僕は毎日埋もれている。

それでもこの本を読んでから、ときどき20代の青かったころのことを思い出したりしている。

 

 

「明け方の若者たち」カツセマサヒコ(幻冬舎)

https://www.gentosha.jp/store/ebook/detail/10355

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