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June 2020

June 26, 2020

「全部ゆるせたらいいのに」一木けい

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〇「全部ゆるせたらいいのに」一木けい(新潮社)

 

結婚して、小さな娘をほぼ一人で育てている千映には心配なことがある。
サラリーマンの夫が毎日酒を飲み過ぎることだ。
前後を失うまで飲んで帰宅する夫に、一人育児を日々強いられる千映は怒りを覚えるが、同時に複雑な感情が胸の奥から湧き上がってくる。
千映の父親もまたアルコール依存症だった―。

アルコール依存症の父、その父をひたすら受け入れる母と祖母。
幼少期から大人になるまで、千映はひたすら父に苦しめられる…。


千映の父親は読書家で内向的な青年だった。
定職をもたず、フリーターのような状態だったが妻も働いていたので二人で生きていく分には問題なかった。
しかし娘の千映が生まれたのをきっかけに、彼は母親が紹介した企業への転職をする。
人間関係の中で数字を出さないといけない仕事は彼に大きな負荷を与え、やがて酒に溺れるようになる。

娘である千映は何も理由なく、モンスターになる父親に長年苦しめられる。
家の中では殴られ、蹴られ、約束を反故にされ、その間の記憶をなくされる。
そんな父親のことがいることを外で言うも憚られ、言っても実情を理解されない。

大人になってようやく距離を開けられると、今度は自分の「罪悪感」に苦しめられる。

千映は

人を許すこと
諦めること
受け入れること

の違いを考えるようになる。
だが、そもそも「そんなことを考えなくてよい」人生が世の中にある。

近親者に逸脱した人間がいるとき、そのことを隠し、受け入れてしまう環境があるときに、つらい思いをさせられるのはだいたい女性である。


読んでいて苦しい。
しかし強烈に引き込まれていく。
同じくアルコール依存症の父親との長い確執を描いた「酔うと化け物になる父がつらい」(秋田書店)を思い出した。

長くこの国は心身を崩した人のケアと犠牲を家族に負担させてきた。
時にそれを美談にして。
ようやく少し社会がそれを引き受けつつあるが、幼少期から人生を差し出した人の時間は戻らない。

人が人を「許す」とはどういうことだろう。
タイトルには「それでも人を受け入れたい」という著者の優しさが表れている。


(H)

 

 

June 18, 2020

「女帝 小池百合子」石井妙子

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○「女帝 小池百合子」石井妙子(文藝春秋)


読み始めてすぐに「やばい、何これめちゃめちゃ面白い…!」となって、次に「われわれはなんて大変な人をトップにしてるんだ……」になり、読み終わってからは「こんなにも世界は権力とわかりやすいもので出来ているのか」に暗鬱としている。


この本を読む前と読んだあとでは政治やニュース報道などについての見方が少し変わる。

まだ6月だから「今年の1冊」と呼ぶには早いけど、間違えなく「6月の1冊」はこれだと思う。

よく出来ているし、よく出した。

この内容で出せば軋轢や反発はあるはずだ。

それでも出した文藝春秋に敬意を払いたい。


小池にとって大事なのは「自分が人に注目されること、尊敬される地位を獲得すること」であって、そのために「プロモーションのための物語」をいくつも用意する。

その物語は小池自身が語る過程でどんどん「盛られて」いく。

あとから他者に事実でないことを指摘されてもうやむやにごまかしてしまうことに慣れている。

学歴詐称の件にしても「そういうことにした」だけであって、根っこでは何が問題なのか理解していないだろう。


また立場の弱い人、同じ女性への冷たいエピソードがバンバン出てくる。

困ってる人々、女性への徹底した冷淡な態度、世話になった先輩議員、自分を支えてくれたスタッフ。

彼女の人に接する判断基準は「自分の役に立つか、立たないか」だけで、立たないと判断した人間にはそれまで濃い付き合いがあっても冷たく切られる。



この本の白眉な部分は、小池のそういった思考の源泉と考えられる幼少期、思春期時代の生育環境、消えなかった右頬のアザに苦しめられた経歴を指して

「まだ幼い少女が自分一人で強く生きなければいけなかった。それは責められることだろうか」

と書くところで。


モンスターはある日突然生まれるわけではなく、「モンスターとして生きていかなければいかなかった」理由と経緯があるわけで、そこの部分を石井妙子は慈愛をもって描いている。


石井はこの本で小池を冷淡に書いているが、その背景には「どうしてあなたは…」というような深い失望が見える。

ラストで明かされる「もし小池に会ったときに伝えたい言葉」とともに、小池のことを誰より強く気にして、誰より期待していたのは同じ女性である石井だったように思えてならない。


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June 14, 2020

カツセマサヒコ「明け方の若者たち」

大学四年の卒業論文に私は「マーク・トウェインと日本の小説に見る『青春小説』の違い」というテーマを選んだ。
「書きたかった」というより「これなら書けそうだった」という理由で。
日本の作家の「青春小説」には灰谷健次郎、重松清、そしてビートたけしの小説を挙げた。
今思えば「どうしてこの選出なんだろう」と思うが、そのころに目に入った作品を適当に選んでいただけだ。

卒論を読んだ先生との面談の日。

研究室で先生は開口一番、こう言った。

「伊野尾くんのは…なんていうか、陳腐ですねえ」

別に先生を驚かせるような内容を書いたとも思ってなかったし、実際陳腐な内容だったんだろうと思う。

それでも1か月半くらいかけて書いた論文なのだ。そう評されるとカチンとくる。

カチンとくるが「どこが陳腐なんですが、この論文のこういうところは凄いでしょう!」と言えるほどの自信もないから、「陳腐ですか」とヘラヘラしながら返した。

そして

「なんだよ、ゼミ合宿のときに『車で行くなら乗っけてほしい』っていうから新宿から河口湖まで往復乗せてやったじゃねえかよ」
「ゼミの女子学生を入れて宴会やりたいって言うからセッティングしてやったじゃねえかよ」

とかそんなことを考えていた。

そんな先生だったし、そんな学生だった。
どうしようもない1997年の大学生。
陳腐な論文で私は「可」をもらい、大学を卒業した。


大学は1・2年生と3・4年生でキャンパスが違った。

1・2年生の通っていたキャンパスの近くには安く飲める沖縄料理の居酒屋があって、そこの2階は10人くらい集めれば貸し切りにさせてくれるのでよく飲み会に使っていた。
飲み過ぎてへべれけになった学生には、布団を貸して泊まることのできるサービスを提供していたそうだが、あいにく自分は泊まったことはない。

3・4年生になるとキャンパスが変わるので当然行動するエリアも変わるのだが、なぜか飲み会は1・2年キャンパスのそばにあるその沖縄料理の店で行うことが多かった。
女子がいたことはほとんどなく、いつも男ばかりで馬鹿みたいに騒いでた。

騒いでいた、という記憶はあるが、誰がどんな話をしていたとか、何か事件が起きたとかいう記憶がない。
きっと何かしらあったんだろうけど、忘れてしまったか、あるいは知らないままに今に至ってる。


ただ一つだけはっきり覚えている光景がある。


大学を出て半年くらい経った時だ。


仲の良かった連中7~8人で、やはりその店に集まって飲んだ。
卒業して半年だから、基本的には何も変わってない。
ただそれぞれ企業に就職したり、大学院に進んで研究をしてたり、教員になったり、それぞれの道に進んでいた。

僕は何もしていなかった。
なりたかったプロレス誌記者にもなれず、石にかじりつくようにそこに近い職を求めたわけでもなく、なあなあでやってた就職活動は内定も取れず、結局アルバイトをしながら親元で日々をすごしていた。
ぼんやりと「なりたいもの」はあっても「点」でしかとらえておらず、「募集」が出なければなれないものだと思い込んでいた。

飲み会後、国道沿いの歩道を3~4人で歩いてるときに二浪して二歳上だけど同級生だった、仲間内のリーダー格だったK君が言った。

「で、どうするのこれから」

なにかモゴモゴしたことを答えた気がする。
するとK君が

「まあおまえは親の仕事継げばいいよ」

そこを仲間のA君が「そうだよな、いいじゃん伊野尾書店」と囃した。

僕は「こいつらなにもわかってないで適当なこと言いやがって」というイラっとした気持ちと、やはりどこかで自分もそう考えてて「見抜かれてる…!」と焦った気持ちが半々ずつあって、なんて言っていいかわからず、不機嫌になった。
なにかしら言い返したような気もする。

学生の時の飲み会は、終わると誰かの家に行くのが二次会だった。
もちろん僕の家に来ることもよくあった。
このときもそうなるのだろう、と思ってたらK君が「じゃあ帰るか」とあっさり言った。
「え!?そうなの?」と思ってたらA君も「いいじゃん帰ろうぜ」と同調した。

その日は土曜日で、二人とも次の日仕事があるわけではない。
にもかかわらず、帰ろうと言ってる。

これかあ。
卒業するっていうのは、こういうことなのか。

そのときの夜の歩道の光景を、僕は今でも覚えている。
そして、年がら年中集まっていた僕らがその沖縄料理の店で飲んだのは、その日が最後だ。

 

 

 

先日、ライターのカツセマサヒコが書いた小説「明け方の若者たち」を読んだ。


内定の決まった男子大学生が、なんとなくで参加した飲み会で一人の女の子と出会う。
そこから二人の物語が始まる。
彼は「将来なりたかった夢」とまでは呼べないが「まあまあ俺、いいところじゃない?」というような会社に就職し、そこで志望していたのとは違う職種を与えられる。
「こんなんじゃない」という思いが日々の生活で薄まっていく中、彼女との関係も少しずつ変わっていく…。


「なりたい自分」と「今いる自分」の差異にもがき、「求めたい人」と距離を縮め、同じ時間を過ごし、やがて関係が少しずつ変わっていく。
ど真ん中の青春小説だった。

描かれるのは、かつて自分も通った道だ。
あの夜の国道のように。
年月が経って国道近くの景色が少し変わってるように、2010年代の青春を生きる主人公と1990年代に青春を送った自分とでは少し景色が違ってる。
でも、根っこの部分は同じだ。

「自分」がわからない。
「相手」がわからない。
だからもがき苦しむ。


物語の冒頭で、主人公が「16文字のメッセージを送ってくる」彼女と出会ったのは、まさしく僕らが行っていたあの沖縄料理の店がモデルだ。
20何年か前に、僕も主人公のように自分の人生がわからなかった。
「人生で一番の」と、そのときはそう思っていた人との時間があった。


そのことを僕はいま「小説を読んだ本屋の店員として」発信している。
「おまえは親の仕事継げばいいよ」と言われたK君の言う通り、本屋になって。


「青春と呼ばれた日々」はもう過ぎた。
現実の日々に僕は毎日埋もれている。

それでもこの本を読んでから、ときどき20代の青かったころのことを思い出したりしている。

 

 

「明け方の若者たち」カツセマサヒコ(幻冬舎)

https://www.gentosha.jp/store/ebook/detail/10355

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