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May 05, 2020

村上春樹「猫を棄てる」

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村上春樹の新作「猫を棄てる」(文藝春秋)を読んだ。

春樹さんがお父さんのことを書いたエッセイ。

タイトルは春樹さんが兵庫県在住だっな小学生時代、お父さんと成長して飼えなくなった猫を海に棄てに行く話から。

そんなに文量がないのですぐ読める。


ここからは平気でネタバレしていくので、今から読む予定の人は閉じてください。


…………


春樹さんがお父さんと海岸に猫を棄てにいくのは小学生の頃の話で、時代で言うと昭和30年代前半。

当時まだ市民に猫を去勢するという感覚はなく、生まれ過ぎたら捨てることはわりとよくあったという。

(猫がらみではもう一つ印象的なエピソードが出てくる)


その後春樹さんが大きくなると、思春期の頃から次第にお父さんの「こうしてほしい」要望と春樹さんの「こうやりたい」の違いが出て来て、二人の心理的距離が開いていく。

そして猫を棄てるエピソードは父との距離が近かった時代の印象的な思い出として語られる。


この本には「Aだったかもしれないし、Bだったのかもしれない」

という春樹さん得意のワードがよく出てくるが、それが中途半端な印象になって残る。 

春樹さんのお父さんはすでに亡くなっている。

なのでどうしてもある程度そう書かざるをえないのだが、小説だと独特の感覚となって伝わる表現が、「父の思い出」というエッセイで使われると「結局どっちやねん」という感じになる。


そして良いにつけ悪いにつけ、あまりお父さんへの感情が伝わってこない。

たとえば好きだった父の思い出として「こういうことがあった」と語られるわけではないし、関係が悪くなっていった経緯について詳述が語られるわけでもない。

京都の寺の息子として生まれ、二度従軍したものの幸運にも無事生還して、その後の人生を送った男のことを、濃淡の感情がないまま「なんとなく気が向いたので父のことを書いてみました」というテンションで書いている。


読んでて小熊英二の『生きて帰ってきた男』(岩波新書)を思い出した。

あの本は小熊英二が父親への長いインタビューをもとに再構成した「父の一代記」で、戦中・戦後を生きた一市民の極めて貴重な記録になっていた。

対して春樹さんのこの本はそこまで詳細な記録になってるわけではないし、お父さんへの感情や抒情もない。

正直「なんでこれを書いたんだろう」とずっと思いながら読んでいた。


それがほどけるのが終わりの4ページで、そこを読んではじめて「ああ、なるほどね」と理解できた。

これはやはり「村上春樹の作品」だったんだ、と感じさせる文章が出てくる。

というかそこにつなげるための、長いフリとしてお父さんの話は使われる。


ということなのかもしれないし、もしかすると違うのかもしれない。

(H)

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