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May 2020

May 24, 2020

営業時間変更のおしらせ(5/25~)

いつもご利用いただきありがとうございます。

伊野尾書店は5/25(月)より下記のように営業時間が変更となります。

平日
10:00~20:00 営業

毎週日曜日 定休日


どうぞよろしくお願いいたします。

May 06, 2020

~かつて買った「邪道」Tシャツはどこかにいってしまったけれど~

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〇「人生に必要なことは電流爆破が教えてくれた」大仁田厚(徳間書店)


ケンドー・カシン、ヨシタツ、高木三四郎、鈴木みのると続いた徳間書店プロレスラーインタビュー本シリーズ最新作。


実は大仁田の自伝的な本は少ない。

過去著作を調べてみた。



「ふざけんな!オレは本気だ!」(扶桑社) 1991年

「おめぇら俺らは生きとんじゃ」(大陸書房) 1992年

「涙の男塾―大仁田厚が若者に檄!!」(ブックマン社) 1992年

「男の教科書」(栄光出版社) 1993年

「千の傷 千の愛」 (集英社文庫) 1993年

「大仁田厚の最後はバカが勝つ (悩んだらヒーローにきけ!)」(ポプラ社) 1994年

「大仁田厚の炎の自炊塾―オレの料理を食ってみろ」(スタジオシップ) 1994年

「俺はマザコン」(勁文社) 1995年

「大仁田厚の超馬券学―競馬ビギナー達に贈る」(日刊スポーツ出版) 1996年

「大仁田厚のこれが邪道プロレスじゃー!」(双葉社) 1999年

「真実」(テイアイエス) 2000年

「高校生日記」(テイアイエス) 2000年

「邪道でごめんね」(ぴあ) 2001年

「国会デスマッチ。―裏ネタ暴露100連発!」(双葉社) 2008年

「やせたい人は運動するな!―1日5分タッチダウンダイエット」(ダイヤモンド社) 2008年

「変えんば!」(ロングセラーズ) 2009年



1991年から2001年の10年間に集中していて、ほとんどは自身の体験談やプロレス話を基にした啓発的なメッセージ本である。

96年に競馬の本を出してるが、このときは2度目の引退した直後でよろずタレントのような活動をしている時期だった。

2009年の「変えんば!」は故郷長崎の長崎県知事選挙への立候補を正式表明した直後の出版で、内容は長崎県の地方行政についての改革提言みたいな内容。

なお私は長く大仁田厚を見ているが、本人がインタビューなどで競馬や料理のことを話していた記憶は一切ない。


その後はダイエットだったり国会議員暴露話のようなものを出したりで、今回の「電流爆破が教えてくれた~」は10年ぶりの著作。

徳間書店のいつものロングインタビューで、これまでの来歴を語っている。


大仁田の祖父は長崎で反物を海外輸出して販売することで財をなした人物で、家の周囲は何百メートルの塀で囲われ、玄関から家まで7~8分歩いたという。

家族の食事は高級レストランで、大仁田は小学生でフィンガーボウルの使い方を知っていた。


しかしそんな生活は父親が散財してしまうことで破綻し(思いつきでボウリング場を買ったり、キャデラックを買ったりする)、大仁田は中学生の時に新聞配達のアルバイトを始める。一日のアルバイト代が6000円。

父親はその金をたかって中学生の厚を競輪場に連れて行き、息子のバイト代をスッテンテンにするような人だった。


中学を卒業した大仁田は歩いて日本一周の旅に出る。

進学する高校は決まってたが「知らない世界を見たい」という好奇心が勝ったという。

ここで注目するのは15歳の大仁田少年は地元の地方新聞に出向いて「記事にしてほしい」と売り込んでいることだ。

対応した記者は興味をそそられ、「本県の中学生が歩いて日本一周」という記事にしている。出発直前のリュックをかかえた大仁田の写真を載せて。


単なる目立ちたがり屋でなく、「どうしたら人に知ってもらえるか」をこの頃から考えていたことがわかる。


結果的にはこの日本一周から半年後には全日本プロレスに入団しているのだが、その間どういう経過があったのかは読んでほしい。

人生は運と巡り合わせだな…としか言えない展開である。


全日本入団前と、FMW設立までの苦難の日々の話は非常に面白い。

(打ち合わせの喫茶店代すら払えないので新宿駅ホームのベンチで缶コーヒー飲みながら打ち合わせしたエピソードとか)


一方でFMW旗揚げ後の話はあくまで「大仁田厚が認識している歴史」である。

たとえば散々「俺は金がない、人に分けなければ残ってたのに」と口にするが、FMW荒井社長の本や当時の関係者のブログなどで伝えられる大仁田は金と女に卑しい人間であり、複層的な見方をしないといけない。

何しろ7度引退して7度復帰した男である。


しかし大仁田厚はその俗人の中にまだらにピュアさを併せ持つ。

大仁田興行ではしばしば試合後に大仁田がリングサイドにいた子供をリングに上げて、即興インタビューみたいなことをすることがあった。


大仁田「おい僕、何歳だ」

少年「はっさい」

大仁田「誰のファンなんだ」

少年「ケンドー・カシン」

大仁田「おおい!空気読めよ!もう一回聞くぞ!…誰のファンなんだ?」

少年「え…っと…大仁田…選手?」

大仁田「そうか!そうか!じゃあこれからも!…カシンを応援してやれや」


観客はずっと笑っている。


かつてFMW荒井社長は大仁田を団体から追い出すとき、

「大仁田厚の99%が嫌いでした。でも残りの1%が……!」と泣いたという。


同じような気持ちを我々はずっと抱えている。

川崎球場で、後楽園ホールで、毎回毎回「これで邪道最後、俺はもう戻ってこない」と言うのを「本当かな…そう言って何年かすると戻ってくるんじゃないかな…」と疑いながら、「でも、もし戻ってこないならこれが最後の姿だ」と思って、声をからして叫んでしまう。

そして1年くらいしてスポーツ新聞などで『大仁田復帰』という文字を見て、心の底からガックリしてしまう。

もう何回もそんなことをしている。


だからもうかつてリングサイドで拳を振り上げながら大仁田コールを叫んだ時のような熱い思いはない。


けれどこの人に激しく心揺さぶられた時代がかつてあったことは、変えられない事実なのだ。

そのことは未来永劫変わらない。


だから今は「遠くにいるかつての恩師」を見るような気持ちで、還暦を超えた「涙のカリスマ」を眺めている。

もうこちらはこちらで今の生活(=今見てるプロレス)があるから、そんな関わらないで大丈夫です。

いつまでも、お元気でいてください。


1989年12月の後楽園ホール。

空調もなくて寒かった会場に、試合前プリンセスプリンセスの曲がずっと流れていたあの日、日本で初めての有刺鉄線デスマッチを見たことを、血だらけのあなたが泣きながら『僕はプロレスが好きなんです』と叫んだことを、今でも覚えている。


“あの日からすべてが変わったと思える日がある―”


井上雄彦の車椅子バスケットボール漫画『リアル』に出てくるこの言葉を、あの後楽園ホールの光景とともに思い出す。


あの日から、たぶん僕の青春が始まった。

今になってみるとそれはすごく幸せな青春だったと、同じだけ年を重ねたあなたに伝えたい。

(H)

May 05, 2020

5/7以降の営業につきまして

緊急事態宣言の延長が発表になりました。


伊野尾書店では当面、これまで通り


平日 10:00~19:00

毎週日曜日定休


という営業時間で続けてまいります。


なお感染症予防のため、ご来店のお客様に下記のお願いをしております。


・ご来店に際しましてはマスクの着用をお願いいたします。


・お客様同士の適切な距離の確保をお願いします。


・ご来店につきましてはお付き添いの方は外でお待ちいただくなど、最小人数でのお買い物にご協力ください。

また、入場制限をさせていただく場合があります。


・レジカウンターの店員に話しかけるなどの場合は設置してありますビニールシートをめくらないようお願いいたします。



ご不便をおかけしますが、よろしくお願いいたします。



店長 伊野尾宏之

村上春樹「猫を棄てる」

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村上春樹の新作「猫を棄てる」(文藝春秋)を読んだ。

春樹さんがお父さんのことを書いたエッセイ。

タイトルは春樹さんが兵庫県在住だっな小学生時代、お父さんと成長して飼えなくなった猫を海に棄てに行く話から。

そんなに文量がないのですぐ読める。


ここからは平気でネタバレしていくので、今から読む予定の人は閉じてください。


…………


春樹さんがお父さんと海岸に猫を棄てにいくのは小学生の頃の話で、時代で言うと昭和30年代前半。

当時まだ市民に猫を去勢するという感覚はなく、生まれ過ぎたら捨てることはわりとよくあったという。

(猫がらみではもう一つ印象的なエピソードが出てくる)


その後春樹さんが大きくなると、思春期の頃から次第にお父さんの「こうしてほしい」要望と春樹さんの「こうやりたい」の違いが出て来て、二人の心理的距離が開いていく。

そして猫を棄てるエピソードは父との距離が近かった時代の印象的な思い出として語られる。


この本には「Aだったかもしれないし、Bだったのかもしれない」

という春樹さん得意のワードがよく出てくるが、それが中途半端な印象になって残る。 

春樹さんのお父さんはすでに亡くなっている。

なのでどうしてもある程度そう書かざるをえないのだが、小説だと独特の感覚となって伝わる表現が、「父の思い出」というエッセイで使われると「結局どっちやねん」という感じになる。


そして良いにつけ悪いにつけ、あまりお父さんへの感情が伝わってこない。

たとえば好きだった父の思い出として「こういうことがあった」と語られるわけではないし、関係が悪くなっていった経緯について詳述が語られるわけでもない。

京都の寺の息子として生まれ、二度従軍したものの幸運にも無事生還して、その後の人生を送った男のことを、濃淡の感情がないまま「なんとなく気が向いたので父のことを書いてみました」というテンションで書いている。


読んでて小熊英二の『生きて帰ってきた男』(岩波新書)を思い出した。

あの本は小熊英二が父親への長いインタビューをもとに再構成した「父の一代記」で、戦中・戦後を生きた一市民の極めて貴重な記録になっていた。

対して春樹さんのこの本はそこまで詳細な記録になってるわけではないし、お父さんへの感情や抒情もない。

正直「なんでこれを書いたんだろう」とずっと思いながら読んでいた。


それがほどけるのが終わりの4ページで、そこを読んではじめて「ああ、なるほどね」と理解できた。

これはやはり「村上春樹の作品」だったんだ、と感じさせる文章が出てくる。

というかそこにつなげるための、長いフリとしてお父さんの話は使われる。


ということなのかもしれないし、もしかすると違うのかもしれない。

(H)

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