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February 14, 2020

1992年、18歳、ヤクルトスワローズ

高校の同級生だったN君は長らく「名前は知ってるが直接会ったことはない」人だった。

同じ中学受験の予備校に通ってて同じ学校に入ったにもかかわらず、予備校時代はずっと別々のクラスだったこともあって「名簿などで名前だけ知ってる人」だった。

そんなNと高校三年のとき初めて同じクラスになり、そして隣の席になった。

N君といろいろ話すようになり、彼がヤクルトファンだということがわかった。

「へーじゃあ今度神宮に見に行こうよ」という話になったとき、彼が「いいよ。じゃあチケット用意しておくよ」と不思議なことを言った。

野球の観戦チケットは「買う」ものである。

「用意」するものではない。

どういうこと?と問うと「いや、俺の親父ヤクルトだから」と言う。

親父がヤクルト?

意味がわからずにいる私に彼が説明したのは「父親が株式会社ヤクルトのお偉いさんであり、スワローズ戦のチケットはだいたい用意できる」ということだった。

そういう人種が世の中には存在し、そしてそんな人が教室の隣に座っていた、ということにただびっくりした。


そこからN君との「神宮ツアー」が始まった。

春から夏、そして秋。

N君と何度も神宮に行った。


1992年は自分にとってターニングポイントになった年だ。

大学進学。

祖母の病気と死去。

そしてN君との神宮ツアー。

全日本プロレスではジャンボ鶴田がいなくなって三沢や川田が台頭し、新日本プロレスは蝶野がG1クライマックスを制覇した。92年はそんな年だった。


祖母が8月に入院し、9月末に亡くなって10月始めに通夜と葬式が行われることになると1つ問題が発生した。

スワローズとタイガースの優勝争いは熾烈を極め、10月頭の神宮2連戦で決着が付くことになった。

その初日が祖母の葬式に当たった。


最初に母親に「この日野球に行きたい」という話をすると、「あんた何言ってるの」という反応をされた。

当然だと思う。

しかしそのときは本当に「これが1年で最大の勝負」という思いだったのでもう一度丹念にお願いすると、意外なところから助けが出た。

「いいよ、行ってきなよ」と言ったのは父親だった。

「葬式は昼間だから、夜はいなくてもいいだろう。行ってきなよ」

父親からかけられてうれしかった言葉の1位はいまだにこの時のこれだと思う。


N君と駆けつけた試合は白熱した末に荒井がサヨナラヒットを打ってスワローズが勝ち、その勢いで数日後に14年ぶりのリーグ優勝を決める。

甲子園で胴上げされる野村監督をテレビで見ながらN君に「やったな!」と電話した。思えばメールもLINEもなかった。


野村監督が亡くなったニュースを見て、ふとN君は元気だろうか、と気になった。

あれから30年近く経っている。

N君とは大学進学してからはたまに会う程度になり、その頻度も少しずつ空いていった。

何年か前まで年賀状のやりとりはあって、結婚したことを知ったがそれ以上は知らない。


あれほど見ていたスワローズの試合を今はもうほとんど見ない。

そんな去年、90年代から2000年代にかけてスワローズで活躍した元選手を集めた『スワローズドリームゲーム』というOB戦があった。

私はそれを見に行った。

一瞬N君に連絡しようかと考えたが、20年近く会ってないので気が引けた。

いま現在親交があって、同じように当時神宮に行っていたという友人の書店員を誘った。


池山、古田、岩村といった歴代のスターから「いたいたこんな選手」というマニアックな人まで集めた試合の監督を務めていたのは車椅子に乗った野村克也だった。


途中、古田が球審に代打を告げる。

すると球場全体からワーッと歓声が沸き、ベンチから古田と真中に付き添われた野村克也がバットを持って出てきた。

付き添いがあってようやく歩ける野村がバッターボックスに立つ。バットを構える、というよりはバットを持ってどうにか立っている。

ピッチャーが山なりの球を1球投げるとブルン、と空振りして倒れそうになる。

それを近くで見守る古田と真中が支える。


なんか夢みたいだな、と思いながらその光景を見ていた。

野球に限らず時間が長く過ぎてしまうと、自分が体験したことは本当にあったことだったのか夢だったのかわからなくなる。


N君と見たいくつものナイター、ハウエルのサヨナラホームラン、打者を抑えてガッツポーズを取るピッチャー岡林、蛍光グリーンのプラスチックバットを叩いて応援していた周りの観客、帰りに食べたホープ軒のラーメン。

あれはすべて本当にあったことだったんだろうか。


目の前では「申告敬遠」を告げられた野村が支えられてベンチに引きあげていく。

球場全体から拍手が起こる。やっぱり夢みたいだった。


地下鉄の中で野村逝去の報を知ったとき、「間に合ってよかった」と思った。

あのドリームゲームが一年遅かったら、野村を見ることはかなわなかった。

あれは本当に幸運なことだった。


時間は過ぎる。

誰にでも当分に過ぎていく。

いまこうして生きていることもいずれ夢のように思う日が来るんだろうと思いながら、その日のことが今はわからない。


ケータイをしまって地下鉄を降りる。

現実の日々がそこにある。


プロ野球 野村克也さん死去 84歳 戦後初の三冠王

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200211/k10012280931000.html

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