« 「1万円選書」やっています | Main | 二重、三重にまとわりつく不安~ 「ストーカーとの七〇〇日戦争」内澤旬子 »

August 16, 2019

「恋愛経験がないままこの年まで来てしまった方は、自己評価は低いのに自己愛は人より強かったしますよね」 ~辻村深月『傲慢と善良』

Photo_20190816001601

 


○「傲慢と善良」辻村深月(朝日新聞出版)


自分がフリーター生活をやめて本屋の仕事に就いたのは24歳の時だったが、働きだして半年くらいで「これはやばいな」という感覚があった。

「やばい」というのは「出会いがない」ということだ。

その頃自分は何年も恋人がおらず、できる様子もなかった。
唯一、定期的に本を届けてる美容室に明るく話しかけてくれるお姉さんがいて気になってたが、「今日は暑いですねー」とか「(届けてる雑誌を見て)今月○○ちゃんが表紙ですねー」といった話をするくらいで、それ以上どうしていいかわからなかった。

一年くらいして、親戚の伯母さんが「宏之に見合いをさせたらどうか」という話をもってきた。
もうその頃には「お見合い」は前時代的な出会いで、20代の感覚だと鼻で笑うような感覚もありつつ、「実際出会いもないし、それもいいかもな…」とも思っていた。
ただ伯母さんは自分の思い通りに進まないと意見をいろいろ言ってくる人だったし、上手く行っても断っても面倒くさいだろうな…と思って結局受けなかった。
ただ、電話してきた叔母の手元にあるというどこかのお嬢さんの身上書はちょっと見てみたかった。
あれはどこのお嬢さんだったのだろうか。
今ではどこかの誰かと結婚されて、子供が生まれていたらもうその子も大きくなってるかもしれない。20年近く前の話だ。

伯母さんのお見合いを断った私はその頃出来始めていた「出会い系サイト」をやるようになっていた。
今のマッチングアプリのようにシステマチックではなく、年齢・性別・居住の都道府県、それに趣味や一言コメントが書き添えられてる3行くらいの情報で構成された「誰か」にひたすらメールを送るページだった。
当時「メル友」と呼ばれる、サイトを通じて知り合った顔も知らない誰かとメールする関係がもてはやされてた。
私も何人かとメールを続け、何人か実際に会ってみた。

だが、恋人になるどころか結局会うのはその一度だけになることばかりだった。

当時、私はそうやって会った女の人たちを常に「査定」みたいな目線で見ていて、

「顔は…まあまあかな」
「服装は普通」
「食べ方がちょっと汚い」
「自分から会話をしてくれない」

みたいに一点一点評価ポイントをつけていた。
それで低評価だった部分を抽出して「こういうところがあるからダメだな」みたいに女の人を「査定」していた。
そしてその上で「ああいうサイトに書いてる女の人とは上手くいかない」と結論を出していた。

今ならわかる。
ダメなのは「ああいうサイトに書いてる女の人」ではなく、やってきた女の人を「査定」する自分の考え方そのものだ。
会った人にいくつもチェック項目をつけてその一番下の部分を問題視し、良かった部分はまるで見ない。
そして自分の低評価な部分は一切見ようともせず、自己評価だけは勝手に高くして「合わないな」とか考えてた自分。

そりゃ上手くいくわけがない。

 


辻村深月「傲慢と善良」を読んでいて、その頃のことを思いだしていた。


「傲慢と善良」は婚活で出会ったあるカップルをめぐる話だ。

主人公の男性、架(かける)には真美(まみ)という婚約者がいる。
知り合って2年になるが、まだ結婚はしていない。
ある日、真美は架の前から姿を消す。
その直前、架は真美から「ストーカーがいる」と相談されていたため「真美はストーカーに誘拐された」と判断、警察に駆け込む。
ところが一通り調査した警察は架にこう言う。
「われわれは事件性が薄いと判断してます。彼女は自らの意思で連絡を絶ったのでは」
納得できない架は自力で彼女のストーカーを特定し、真美を取り戻そうとする。
架は真美のストーカーを「彼女が婚活で知り合った男性の誰か」と推測し、一人ずつ探していく…。

 


婚活を入口に、地方コミュニティの閉鎖性、静かに流れる旧来的家族観、毒親、パラサイトシングル、女子マウンティング…といった現代の社会問題が複層的に描かれる。


前半、「これミステリーとしてちょっと無理ないかな…」と思いながら読んでいたが、後半その引っかかりがスルスルっとほどけていくのが見事だった。

途中、

「婚活がうまくいかないとき、
『自分が個性的で中身がありすぎるから引かれてしまった』とか、
『自分が女性なのに高学歴だから男性が気後れしてしまった』とか、
『美人であるから他の男性がいたのかもしれない』とか、本来自分の長所であるはずの部分を相手が理解しないせいだと考えると、傷つかずにすみますよね」

「恋愛経験がないままこの年まで来てしまった方は、自己評価は低いのに自己愛は人より強かったしますよね」

といった婚活=恋愛に関するキラーフレーズが次から次に出てくる。
 


私たちは常に「自分はちゃんとしている」と思っている。「あの人はここがおかしい」と平気で思ったりする。

それは、どの地平から言ってるのだろう。その目線はどこから生まれてるのだろう。


物語の中で、地元の有名な女子短大に真美を入れたことを誇りに思っている真美の母親が架に「そこの出身者だから真美を選んだんでしょ?」と聞く場面が出てくる。
架は「えっ…?」と呆気にとられ、やがて「そんなことまったく考えもしなかったが、この人の中でそれはつながってるんだ…」と理解する。

 

限られたコミュニティの中で発生する『あっちよりも私の方が上』マウンティングは、だいたいそのコミュニティの外にいる人からは『どっちでもいい』と思われている。

 

私たちはどうだろう。

自分の見た目。収入。社会的地位。結婚してる/してない。子どもの有無。友達の数。趣味。やってきたことの成果。

自分が気にしていることは、本当に誰もが気にしていることなんだろうか。

小説は鏡だ。

ページの向こうには自分が写っている。

私たちは真美の母親を笑えるだろうか。

 

(H)

 

« 「1万円選書」やっています | Main | 二重、三重にまとわりつく不安~ 「ストーカーとの七〇〇日戦争」内澤旬子 »