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March 27, 2019

青春を更新し続ける街の記憶 ~「高田馬場アンダーグラウンド」

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○「高田馬場アンダーグラウンド」本橋信宏(駒草出版)


 


高田馬場で生きた人たちのエピソードをまとめたアラカルト。
著者が1975年に早稲田大学に入学し、70年代の高田馬場の情景を個人的な出来事と絡めて伝えることでノンフィクションと私小説とルポの中間のような味わいがある。
途中、著者の大学時代の恋愛話がずっと続くところは何を読まされてるんだろう…と思いつつも、時代の空気感がしみじみ伝わってきた。


 


 1970~80年代に高田馬場、早稲田界隈にいた著名人のエピソードがいろいろ挟み込まれる。
その中でも「神田川」の制作秘話がとてもよかった。
1966年の春、早稲田大学に入学した一人の男子学生。
ビートルズが初来日し、大学が学生運動に激しく揺れていた年。
社会の矛盾や不正をただすために機動隊とぶつかりながら、教室で出会った一人の下級生と恋に落ちる。
「時代」と「個人」に挟まれてほのかに散った個人の小さな失意の話が、めぐりめぐって国民誰もが知る名曲に昇華していく軌跡が当時の情景とあわせて美しく語られる。


 



 そして「街を書く」というのは思った以上に難しいなとも感じた。
100人いれば100人の「その人にとってのその街」の姿がある。
それは近接してはいれど、決して重ならない。
本橋さんにとっての高田馬場はこういう形の街で、それは自分にとっての高田馬場とは当然少し違っている。その差異を確かめながら読むような読書感覚だった。


 


 1980年代、ビックボックスの一階には噴水広場があり、その脇でソフトクリームや飲み物など軽食を販売する店があった。
小学生の時に父親に連れていってもらった記憶がある。
あの時の噴水広場にいた大学生くらいのお兄さんの中に本橋さんもいたのかもしれない。


 


中井で生まれ育った私にとって高田馬場はもっとも身近な繁華街であり、もっとも思い出が詰まった街でもある。


 


「日能研」という中学受験予備校に通っていた12歳。
たまに日曜日に行われていた模試の時だけ、塾の友達とマクドナルドに行ったのが楽しかった。


 


 かつてビックボックスの入口にはテレビモニターが備え付けられていた。
16歳の時、そのモニターで千代の富士と貴乃花の一番を見た。
 普段その前でテレビを見てるのは待ち合わせで暇を持て余した人だけだったのに
(ケータイやスマホが普及する前、人々が待ち合わせ場所で時間をつぶす方法は本か雑誌を読むくらいだった)、
その時は大勢の人が画面の相撲を見つめていた。
 紫色のまわしをつけた貴乃花が千代の富士を押し出した瞬間、群衆からワッ!と声が上がり、「うわー勝っちゃったよ!」みたいな声があちこちから聞こえた。 
 相撲界の歴史が変わったあの取組を、私は父親とビックボックスのモニターで見ていた。あの日どうして父親と高田馬場にいたのか、そっちはまったく思い出せない。


 


 年がら年中ゲーセンと卓球に行っていた高校時代。
 初めて女の子とデートした18歳。
 友達やバイト先の同僚と居酒屋に行くようになった大学生時代。
 いきなり家にかかってきた電話で英会話教室の説明に誘い出されて行ったこともあった。 


 


 いつも待ち合わせは高田馬場だった。
西武新宿線改札を出て東西線出入口に向かうところにあった「甘栗太郎」の前。


 


 高田馬場の駅前にはいつの時代も青春のかけらを集めて燃やしつづける若者であふれている。
かつてそこに加わっていた自分も、今は遠くから彼らをぼんやりと眺めている。
 浜田省吾の「想い出のファイヤーストーム」を思い出す。
ロータリー、ビックボックス、「麦畑」がBGMの横断歩道。
 青春は変わらずここにある。


 


(H)

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