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November 17, 2018

闘魂こめて

はじめて恋人と呼べるような人ができたのは、あと2日で二十歳の誕生日を迎えるという、19歳の夏だった。

彼女は同じアルバイト先にいた同い年の人で、あるとき仕事終わりにバイト仲間5~6人でお茶を飲みに行く機会があり、それで話すようになった。
年齢のわりに落ち着いていて、利発的。けど一度しゃべりだすと皮肉屋。
そんな印象だった。
細い、メンソールのタバコを吸っていた。
最初の頃は「気難しい人なのかな」と思っていたが、話すようになるとそうでもなかった。
むしろ意識して背伸びして、そういう風に見せているんじゃないかと感じる部分もあった。
「名探偵コナン」に灰原哀という、中身は大人の女性が幼児化させられたキャラクターが出てくるが、見てると当時の彼女と雰囲気が似てると感じる時がある。もちろん一瞬で事件の背後関係を見抜くことはなかったけど。

彼女は仕事について、同じ職場の同僚について、社会のいろんな事柄について、はっきりとものを言うタイプの人だった。
時には毒のある言葉も使われるので、最初のうちは「ビシビシ言うなあ」と思ったものの、共感できる部分も多かったので自分にとってはさほど嫌なものではなかった。
彼女の方にも、私の言葉や考えを好意的に受け入れてくれている実感があった。
初めは仲の良かった何人かで食事をしたり遊びに行ったりしてたけど、次第に彼女とだけ連絡を取るようになった。

19歳の私は「とにかく彼女と楽しいことがしたい」という欲求にあふれていた。
映画に行く。
水族館に行く。
ドライブに行く。
遊園地に行く。
長年、「いつか彼女ができたら一緒にこういうところに行きたい」と思っていたことを実行した。
どこに行くか考えることも楽しかったし、実際そういうところに二人で出かけられるのもうれしかった。
「リア充爆発しろ」という言葉が後年生まれるが、当時の私だったら「爆発してもいい」とか言うかもしれない。それぐらい浮かれていた。

ただ一つ、一緒に彼女が行ってくれない場所があった。
それが球場だった。
彼女は野球に興味がなかった。まったくなかった。
野球の話を始めると途端に表情が冷めていったし、「今度神宮いかない?」「西武球場いかない?」と提案しても「ああー、いい…」と気怠そうに答えるのが常だった。
私はだんだん彼女の前で野球の話をしなくなった。
そうすると勝手なもので、「男友達だったらいくらでも野球の話ができるのに…」と内心不満を覚えるようになった。

彼女との連絡はいつも私からだった。向こうから連絡が来たことは数えるほどしかない。
出かける際は「今度○○行こうと思うんだけど、行かない?」みたいな言い方を私がして、彼女が「いいよ」と答えて決まる形が定番だった。
私はずっと「こちらが楽しいプランを考えてあげなければ」と考えていたが、それは「自分がやりたいこと、自分が行きたいところに彼女を連れていく」という形であって、「彼女自身が行きたい場所を聞き、そこに二人でいく」ことを提案する感覚は薄かった。
彼女が好きだったリバー・フェニックスの映画を一緒に見た記憶はあるが、それは「こちらからそう提案すれば喜ぶだろう」みたいな、なかば善意の押しつけみたいな形であって、本当のところ彼女が私と何をしたいか、ということを確かめてはいなかった。

また、会話の中で「ああしたらいいんじゃない?」「こういう方がいいんじゃない?」みたいなことを私が言って、向こうが表情を曇らせたことが何度もあった。
結局のところ、当時の私は「彼女に寄りそう」のではなく、「自分の脳内にある“理想の彼女”像に彼女を寄せようと」したんだと思う。
振り返れば、ただ幼かった。

夏から秋に変わったあたりから、出かけるにせよ、会話するにせよ、少しずつ二人の波長がずれてきたような感覚が出てきた。
以前の「来週、○○いかない?」「いいよー」という楽し気なやりとりは減ってきていて、「来週、××いかない?」「ああ…うん…まあいいよ」みたいな形に変わってきていた。
この頃彼女は大学のサークル活動が忙しそうで、電話や会う時間が以前に比べて少なくなった。
そのことを私は不満に思い、「もう少しこちらとの時間を作ってくれてもいいんじゃないか」とよくイライラしていた。

秋も深まった10月下旬の土曜日、私は彼女をドライブに誘った。
彼女は昼過ぎまで大学でサークルの用事があるというので、私は彼女の通っていた大学の近くに車を止めて待っていた。
車の中でラジオをつけるとジャイアンツとライオンズが戦う日本シリーズの第一戦が始まっていた。
「あ、今日からだっけ」と思い、自分が日本プロ野球の一年で一番重要な行事日程を忘れていたことに気が付いた。
1994年。
日本シリーズが昼間に行われていた、最後の時代だ。

サークルを終えて合流した彼女を乗せて、どこかに行こうということになった。
その日自分がどこに向かおうとしていたのか、今となってはまったく思いだせない。
覚えているのは車中ちょっとしたことで口論になり、どこかのファミレスの駐車場に車を止めてずっと話し合いをしたことだ。

何かのきっかけでお互いが相手の発言を修正させようとし、それを否定し「あなただって」と押し付け合い、意見は平行線をたどり、車中に沈黙が流れる時間が長くなってきていた。
やがて無音に耐えきれなくなり、私はラジオをつけた。
実況アナウンサーの声が聞こえた。

「…ということで田辺の満塁ホームランも出まして、初戦は11-0でライオンズがジャイアンツに快勝しました。解説の××さん、ここまで大差になるとは」

彼女が手を伸ばしてラジオを消した。
無表情に見えたが、内心腹を立てていたかもしれない。

「どうせ黙ってるんだから聞かせろよ」というイライラした気持ちと、こんなときであっても「ライオンズそんなに大差で勝ったんだ…これは今年はライオンズが日本一かな?」と野球情報に引きずられる、両方の思いがあった。

たぶん、そういうところが、いろいろダメだったんだろう。
いや、そういうところ「も」かもしれない。

数日後、日本シリーズ第5戦が行われた夜。
珍しく向こうからかかってきた一本の電話で、はじめてできた恋人は「伊野尾さんとは、友達でいましょう」と言った。
当時の自分にとってそういうセリフは漫画やドラマの中で見聞きするものであり、「本当にそうやって言われるんだな…」と沈んだ。
人生で初めて味わう、胸がえぐられる気分だった。
電話を切ってしばらく部屋でボーっとしていた。
つけっぱなしのテレビが、ジャイアンツの緒方耕一が満塁ホームランを打った場面をリプレーしている。
あの場面の映像を見ると、今でもあの時の胸の痛みを思いだす。

1994年の日本シリーズはジャイアンツが4勝2敗で日本一になった。
自分は現在に至るまで日本シリーズはほぼ毎年全試合チェックしているが、この年のシリーズはこの二つの場面以外、ほとんど試合の記憶がない。
しばらくの間、彼女が乗らなくなった車の中でMr.Childrenの「over」を何回も聞いていたことだけ記憶に残っている。

彼女とはその後半年くらいバイト先で顔を合わせたが、当然そんな深い会話もせず、必要最小限の応対をしていた。
そして約半年後、彼女は「ディズニーランドでアルバイトをする」と言って辞めていった。
ただ共通の友人が多かったので飲み会やちょっとした遊びの機会に再会する機会があったりして、そういった時に私は「もしかしたら、まだやり直せるかもしれない」というグズグズした甘い願望を抱えたまま「友達」として彼女と接していた。

よかったのか悪かったのか、彼女とはその後も付かず離れずな関係が続いた。
たまに連絡をしたり、あるいは向こうから連絡が来たりして、会ったりする。
数時間、お互いの近況を話し合って別れる。

しばらく疎遠になる。
と思って何年かすると、また思いだしたように連絡をして会ったりする。

そんな関係もだんだん連絡の間があいて、気づけば数年間連絡をしていない状態になった。
最初に彼女と会ってから十年以上が経っていた。

その間、私は本屋の人間になり、別の人と結婚もして、家族もできていた。30代になっていた。

そんなタイミングで彼女から連絡がきた。

会社を辞めた。
パセドウ病という病気になり、治療しながら仕事を続けたかったが、だんだん会社にいづらくなってしまった。
体調も思わしくないし、しばらく休みます。

そんな内容だった。

この頃になると彼女のことを思いだす機会は少なかった。
もちろん嫌いじゃないし、大事な人ではあったけど、「過去の人」という枠組みに入っていた。

その「過去の人」がわざわざ伝えてきたことに、気がかりなものを感じた。

どうしよう、と思った。
けど「どうしよう」と思った時点で、「連絡しない」という選択肢はなかったんだろう。

1か月後、私は彼女に会いに行った。
家族には言わなかった。言えなかった。

指定された場所は彼女の実家がある街のファミレスだった。
久々に会った彼女は、顔がややこけていたが、そこまで具合が悪そうには見えなかった。
もちろん頑張って元気を装っていた、ということもあったかもしれない。
どこまでが我慢でどこからが本当に具合悪いのか、その判断はつかなかった。

6~7年ぶりに会った彼女はひとしきり病気のこと、仕事を辞める悔しさ、今後の見通しを話した末に、「そうだ、わたし伊野尾さんに言わなきゃいけないことがあったんだ」と切り出した。
ドキッ、としたのを悟られないように「何?」と聞く。
すると彼女は手元のスマホをいじりながら言った。

「わたし今ジャイアンツ応援しているの」

「え?」予想外の話だった。

ジャイアンツ?

「…野球、全然興味なかったよね?」俺とつきあってたころ、という言葉は呑み込んだ。

「そうー」
そしてスマホの画面をこちらに見せた。白とオレンジと黒で縁取りされたジャイアンツのユニフォーム。背番号9が写っていた。

「亀井?」

「そう、亀井さん超カッコいい。あとね、松本!松本の守備、カッコいいんだこれが」

「なんであなたがジャイアンツを」

「それがね、その病気のこととか、仕事のこととかで欝々してたときに、友達が東京ドーム行こうよと誘ってくれたの。
 で、球場行ってみたらすごい楽しかったの!
 私、野球ってぜんっぜん興味なかったんだけど、こんな世界があったんだ!って。
 スタンドで応援して、それでジャイアンツが勝つと最高に楽しくて!」

うん、知ってる。そういう喜びはよく知ってる。
と思ったけど口に出さなかった。

「じゃあ、病気してなかったら、その友達が気分転換に東京ドームに連れていってなかったら、ジャイアンツには出会わなかったわけだね」

「そー。だから、わからないよね」

「ちなみになんで亀井なの」

「いやね、チサトと行った二回目の試合で…あ、チサトってその連れていってくれた友達ね。その試合ジャイアンツが負けそうだったんだけど、亀井さんが最後にサヨナラホームラン打ったの!それが本当に劇的で、もう私泣いちゃって」

泣くんだ。泣くほどジャイアンツに思い入れができたんだ。
そもそもこの人、こんなことを言う人だっけ。

時間の経過が人を変えていく。
それとも変わったのは、他人を見る自分の視線だろうか。

「あれ?伊野尾さんって野球好きだったよね?どこだっけ?西武だっけ?」

「いや、千葉ロッテ」

「あー、ロッテの応援いいよね」

この人とこんな話をする機会が来るとは思わなかった。

この人に出会ったとき、ロッテの監督は誰だったろう、と考える。
ああ、八木沢壮六だ。
その頃は今のような“いい”応援ではなかった。
ロッテがマリンスタジアムに移った最初の年。
今の綺麗なスタジアムからは程遠い、ただ遠いだけの千葉の球場。

「マリンスタジアムもそのうち交流戦で行きたいんだよね」

10何年前に言ってほしかったね。そしたら。

「あ、私、来週またドーム行くんだ」

亀井、打つといいね。

あれから5年以上経った。
連絡は取っていない。
年賀状だけは毎年送られてくる。
ジャイアンツの話は書いておらず、「最近は池波正太郎を読んでいます」「アガサ・クリスティを読み返してます」といった、読書の話だけが一行くらい書いてある。
私たちはお互い40代になった。
彼女はSNSをやらない人だったし、やってたとしてもアカウントを知らないので現在どうしているかわからない。

今のプロ野球は自分の好きなチームの試合中継だけを見ることができる。
テレビは地上波放送、BS、CSが入る。ネット中継もある。
そうすると好きなチームの所属していない方のリーグの試合をあまり見なくなる。
かくして、私はジャイアンツの試合を年に数回しか見ない。

そんな自分が先月、久しぶりにジャイアンツの試合をしっかり見た。
スワローズとジャイアンツが争ったセリーグのクライマックスシリーズ1stステージ、第二戦。

私の家族は野球に興味がない。
休日の夜、全員揃っているリビングのテレビで野球を見ようとすると嫌がられる。

夕食が終わると、私は閉店している職場に行き、独り休憩室のテレビで野球を見ていた。
画面の向こうではジャイアンツ先発の菅野がノーヒットピッチングを続けている。

6回。
7回。
回を重ねても菅野はヒットを許さない。

8回。
スワローズ打線は菅野をまったく打てない。この回も3人で凡退。球場も、放送席もざわついている。

そして9回。
スワローズの打者2人が凡退し、最後のバッターの打球がセンターのグラブに収まる。
史上初、クライマックスシリーズでのノーヒットノーラン達成。

すげえなあ菅野!

誰もいない部屋で興奮しながら大きな独り言を言う。

SNSに書こう…とスマホを持った瞬間。

彼女は見ただろうか。

頭をよぎる、一瞬の考え。
一回スマホを置く。

それは見るだろう。CSだ。見ないわけがない。彼女がまだジャイアンツを好きでいるならば。

ふたたびスマホを持つ。

もう何年も会ってない人に「菅野すごいね!」という短い一文を送るべきか、送らない方がいいのか、考える。

指が止まる。なんでもない時はやたら速く動く指が、今は進まない。

送ってどうだというんだろう。
俺は何がしたいんだろう。

テレビの向こうでは菅野がヒーローインタビューに答えている。
「高橋監督と一日でも長く野球がしたいです」とファンを泣かせることを言っている。

菅野は現在を見ている。この先の未来も見ているだろう。

どうして俺は、過去を見ているんだろう。

スマホを置いた。

 

パセドウ病、どうなっただろうか。
良くなっただろうか。
あれから何も聞けていない。

けど、彼女にはジャイアンツがある。
連絡していないけど、なんとなく今も見ているような気がしている。

 

ジャイアンツ、がんばれ。

生まれてこの方、一度も応援をしていないチームに初めて祈りをこめる。

ジャイアンツ、がんばれ。

俺はロッテファンだから、いまこんなこと書いててもシーズンが始まってしまえばこんな気持ちはなくなってしまうかもしれない。
だから今のうちにせいいっぱい願っておく。

あの人が見ているうちに。
「ジャイアンツを好きでよかった、見続けてよかった」という瞬間を、どうかあの人に届けてほしい。

野球でしか伝えられない喜びがあるのだから。

 

気が付けば野球中継はもう終わっていて、テレビからはMr.ChildrenのニューアルバムのCMが流れた。
人も、野球も、時代も変わっているのに、桜井和寿の歌声だけは24年前からずっと変わっていないような気がした。

※この話は村瀬秀信「止めたバットでツーベース」(双葉社)にインスパイアされて書きました

※基本的にフィクションと思っていただければ幸いです

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