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September 18, 2018

テレビの虚実と誠実  ~若林正恭「ナナメの夕暮れ」

若林正恭「ナナメの夕暮れ」にこんなエピソードが出てくる。

 

ある時、若林は「ゆとり世代」「ロスジェネ世代」「バブル世代」「団塊世代」と出演者を世代別に分けて討論し合う番組に出演した。
若林自身は「世代を分けることに何の意味があるだろう」と思っていたという。

途中、「ゆとり世代」の席にいたモデルの男の子が「僕は女性に興味がない」「恋愛も結婚もしない」と発言し、スタジオは「草食系ならぬ絶食系だ!」と騒然とした。
彼は太りたくないので一日一食しか食事をせず、それもお菓子しか食べない。肌の白さを保つために日傘を差して歩く、という。

若林は内心「コメントを求められたらどうしよう」と思っていた。
「好きにすればいい」という感想しか浮かんでこなかったからだ。特に法を犯してるわけでも、他人に迷惑をかけているわけでもない。好きにすればいい。

他の出演者が彼に対しコメントしていく中、司会者からコメントを振られた若林は苦し紛れに「好きにしたらいいと思う」と言う。
すると他の共演者から「一番冷たい!」と突っ込みを受けた。

収録後、ある先輩タレントが若林に「好きにしたらいい、は無いよ」とダメ出ししてきた。
若林は素直に「すみません」と謝る。
すると先輩タレントはこう言った。
「俺たちだって本音を言えばそうだからさ」

 

テレビはポリティカルコネクトネス、有用性のある情報、エンターテイメントを並立させてできている。
若林の回答は人としてはまったく正しい。
しかしテレビエンターテイメントとしては「あれは無いよ」という評価になる。
その先輩タレントは自分の本音を押しつぶして、エンターテイメントを演ずる。

テレビバラエティは「正論」を言えば正解ではない。
見ている人に笑ってもらったり、「へええ」と思ってもらえなければいけない。
「まあ、そうだよね」はテレビでは正解にはならない。
若林と先輩タレント(いったい誰だろう)のこのやりとりは、テレビ、ひいてはメディア全般を通したときの「正論」の置かれ方を考えさせる。

 

このエピソードは「企業>国>個人」だった時代が「個人>企業>国」に変わった、とする社会論を番組で聞いた若林がそれを実感するエピソードとして挙げている。

エッセイではこのあと若林が、モデルの彼の言動が実は「自身のイメージ(若い女性ファンに対する)セルフプロデュースだったのではないか」と疑う。
実際はどうあれ、「そう見られたい」というための発言だったのではないか。
そうだとすればモデルの彼にとって大事なのは「企業」でも「国」でもなく「個人」あるいは「個人の夢、目標」であり、彼の未来を担保するものはそこにしかない以上、それは当然のことではないか、と見ている。

 

若林はその上で「自分は彼に何を言うべきだったか」を問い返し、そしてある言葉が浮かんでくる。
それがなんという言葉だったかは、実際にこの本を読んで確かめてもらいたい。
若林の人柄がにじみ出ているコメントである。

 

○若林正恭「ナナメの夕暮れ」(文藝春秋)

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