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August 15, 2018

「佐山さんですか?普通の人ですよ」と田崎さんは言った ~「真説・佐山サトル」

大学生だった頃、バイト先のファミリーレストランにホリエさんという男性が新入社員として入って来た。
向こうは社員でこちらはアルバイトだから本来向こうの方が立場は上だが、ホリエさんは年下のわれわれ相手に謙虚に仕事を教わり、それなりに「仕事上の先輩」として敬ってくれていたので良い関係が築けた。
そしてホリエさんもプロレスが好きということが判明し、私たちは一気に仲良くなった。

あるとき、仕事が休みの日にもう一人バイト仲間でプロレス好きだったAくんと一緒にホリエさんの家に遊びに行くことになった。
ホリエさんが住んでいた王子のマンションの一屋でしばらく三人でしゃべってると、ホリエさんが「こないだこれを買ったんだよ。これ見ようよ」と四角い箱状のものを持ってきた。
『初代タイガーマスク 猛虎伝説』というビデオボックスだった。値段はたしか3万か4万した。

僕らは三人でしばらくそのビデオを見ていた。
ホリエさんは「すげえ…」「いやかっこいいよタイガー…」とかずっと独り言をつぶやいていたが、あるとき急に「そうだこれ!これちょっと見てほしいんだよ」とビデオを早送りし始めた。
早送りが止まって出てきたのは、タイガーマスクvsスティーブ・ライトの試合だった。
私はスティーブ・ライトというイギリス人レスラーをこのとき初めて知った。

ホリエさんは試合序盤にタイガーが立った状態からスティーブ・ライトの背後に回って相手を倒していくシーンのところでリモコンを止め、「見た!?今の!すごくない?」と同意を求めてきた。

「あ、そうですね、すごいです」と答えると「すごいよね!今の!もう一回見ていい!?」と巻き戻して同じシーンを再生した。
再びタイガーがスティーブ・ライトの背後に回って相手を倒していく。

「すごいよね!これできないよ!かっこいいなあ!」ホリエさんは興奮しながら言う。
Aくんはケラケラ笑いながら「すげえ!」と手を叩いていた。

確かにタイガーマスクはすごかった。
体の動きが普通のレスラーとはまったく違って、一人だけ早回ししたような動きをしていた。
ただ、この時代よい動きをするレスラーは他にもいて、私は内心(みちのくプロレスのザ・グレート・サスケとかの方がすごい動きしてるんじゃ…)とぼんやり考えていた。

ホリエさんはこのあとも「タイガーマスクのここがすごい」という動きをビデオを止めながらいろいろ解説してくれ、それはわかったりわからなかったりだったが、仕事のときはもの静かなホリエさんがタイガーマスクについてだけは異常に熱をもってしゃべっていたことが印象的だった。

  
タイガーマスクが新日本プロレスのリングに登場した1981年、僕は7歳だった。
父親と並んで虎のマスクをかぶった選手が華麗な動きをしていたのをテレビで見た記憶はある。
ダイナマイト・キッドや小林邦昭といった選手と戦っていたのも覚えている。

けどそこまでだ。
特別深く刻まれていない。
7歳にとってのタイガーマスクは仮面ライダーやウルトラマンといった映像世界の中だけのキャラクターと区別がついておらず、今思い返しても「そういう選手がいた」という認識しか持っていない。

僕がプロレスに深く傾倒するのは天龍源一郎とジャンボ鶴田の試合を見た中学生になってからで、そのときにはタイガーマスクは『二代目』になって全日本プロレスに出ていた。
二代目タイガーマスクの正体は三沢光晴で、初代だった佐山サトルとは別人である。

全日本プロレスから入ってインディープロレスに拡散していく自分のプロレス嗜好の中で、初代タイガーマスク=佐山サトルは常に彼岸にいる人だった。
「すごかった」という話はよく聞くものの、気がついたときにはプロレスのリングにいない。
どうやら『ケーフェイ』というプロレスの内側を暴露したような本を出したらしいが本屋になかったので読んでいない。
タイガーマスクをやめてからはUWFという団体に出ていて、今は“シューティング”という格闘技の道に行ってしまったらしい。
ちょいちょいプロレスを下に見るような発言がメディアに出てくる。

佐山サトルは自分の中にある「いったいなんなんだろうこの人」という枠にすっぽりはまっていた。
結局それはその後も20年以上続いた。

プロレスを否定して理想の格闘技を追求し「修斗」を創設するものの、結局そこから離れた人。
プロレスに戻ってきては「仕方なく」プロレスをやっている人。
右翼思想の持ち主。
選挙に出た時は街頭演説で『暴走族は殺せ』と発言したらしい。

すべて間違ってはいない。
けれどもどこか芯をはずしている。確信をつかんでいない。
ずっとそう思っていた時に『KAMINOGE』で田崎健太さんの評伝が始まった。

一人の人間の半生を描くにあたって、その当事者自身に半生を語ってもらったことを本にまとめる方法がある。
それは「自伝」と呼ばれる。
田崎健太が書くのは「人物ノンフィクション」である。
必ず、その人の周囲にいた多くの人々に証言を求める。
「彼は、彼女は、どういう人であったのか」
それを多くの人に丹念に聞き、集めた話をつなげていく。

そういう取材をしていくと面倒なことがたくさん出てくる。
証言が一致しない。
『事実』が一致しない。
あいつの話は聞くのか?あいつの話を載せるのなら俺は話さない…。

そういういくつもの厄介ごとを経て、さらに田崎はその当事者に尋ねる。
「Aという人によれば、こういうことがあったそうですが―」
それは時に当事者にとって気分の悪い話もあるが、本人の話だけでは絶対に出てこない『事実』を積み重ねることで、複数の視座からなる多角的な人物像が読者に作られていく。

「タイガーマスク」として時代の寵児となった“光”と、この国の総合格闘技の礎を築きながらその恩恵を一切受けないまま野に下った“闇”。
二つの面を併せ持つ稀代の格闘家を田崎健太が取材したこの本は、これまで理解されにくかった佐山サトルという人物の思考回路を丁寧に解きほぐしていくとともに、「いかに人が不確かな伝聞によってその人をイメージしていくか」ということを浮かび上がらせる。
「ある人物」を描こうとすれば、かならずそれは「われわれ人間とは何なのか?」に戻ってくる。

この本を読むと、佐山サトルは「いったいなんなんだろうこの人」から「こういう人だったんだ…」に印象が変わってくる。
新しいものを作ろうとして、時代と戦った人。
その時代に必ずしも正当な評価を受けなかった人。
「真説・佐山サトル」は評価の定まらなかった一人の求道者の深淵を周囲から描いた作品であると思う。

 

この本が出た後、著者の田崎さんにお会いする機会があった。
そのときに「佐山さんって実際のところどういう人ですか?」と聞いたところ、田崎さんは即答した。

「普通の人ですよ。僕の知る限り、あの時代のプロレス界の人では極めてまともな人だと思います」

最初、取材対象者だから敬意を持ってそう言ってるのかな…と思ったが、読んでるうちにだんだん本当にそうなんじゃないか、という気がしてくる。

メディアが速報的に知らしめる人物、出来事のニュースと時間が経ってから関係者が話す人物、出来事のニュースの埋めがたい差。
われわれは本当に「その人物」を知っているのか?
本当に「何を」知っているのだろうか?

○「真説・佐山サトル タイガーマスクと呼ばれた男」田崎 健太(集英社インターナショナル)

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(H)

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