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October 10, 2017

「プロ野球」を人生に選んだ青年たちの岐路 ~田﨑健太「ドライチ」

ボールを投げ、バットで打つ。
成長とともにボールは遠くに投げられるようになり、うまく打てるようになればうれしかった。
そういう遊びがまだ身近だった時代に私は育った。
それがあって、大人になってからも時間があるとバッティングセンターに行ってしまう。

プロ野球を見て「すげーっ!」と感嘆する思いの根っこには、そんな原体験がある。
あんな風には投げられなかった、あんな風には打てなかった。
たとえ年下になっても、プロ野球選手は私のヒーローだ。

そんなプロ野球の世界は12球団合わせて何百人という数の選手が登録され、そのうちの何十人という選手が毎年入れ替わっていく。
テレビで、球場で見られるのはその中の一部の選手であって、実際には試合に出られない、出ることのない選手が数多く存在している。
その中には入団時に大きな期待を背負ってチームに入ったのに、試合に出られない選手もいる。

プロ野球新人選択会議、通称ドラフト会議。
そこで1位指名を受けた選手、「ドラフト1位」は特に大きな期待を背負う。

田崎健太「ドライチ」はそんな「ドラフト1位」指名された8人の元プロ野球選手たちを丹念に描く。

CASE1 辻内崇伸(05年高校生ドラフト1巡目 読売ジャイアンツ)
CASE2 多田野数人(07年大学生・社会人ドラフト1巡目 北海道日本ハムファイターズ)
CASE3 的場寛一(99年ドラフト1位 阪神タイガース)
CASE4 古木克明 (98年ドラフト1位 横浜ベイスターズ)
CASE5 大越基(92年ドラフト1位 福岡ダイエーホークス)
CASE6 元木大介(90年ドラフト1位 読売ジャイアンツ)
CASE7 前田幸長(88年ドラフト1位 ロッテオリオンズ)
CASE8 荒木大輔 (82年ドラフト1位 ヤクルトスワローズ)

「ドラフト1位」は球団の期待そのものだ。
ファンも「すぐに活躍して当たり前」という目で見る。
ゆえに、選手には尋常でないプレッシャーがかかる。

彼らはみな高校、大学のアマチュア時代に残した華やかな成績を見込まれて入団する。
しかしその成績は「高校、大学時代の万全のコンディション」で残した成績であって、プロに入ってから同じようなコンディションで野球ができるわけではない。

05年高校生ドラフトで読売ジャイアンツに1巡目氏名を受けた辻内崇伸の話。

「プロに入ったら毎日投げる。痛くて投げないと怪我人にされてしまう。お金をもらってる以上、野球をしなきゃならない」
「二年目の春のキャンプに呼ばれた。原監督も見に来るので、痛いけど投げないといけない」
「10球くらい、肘が痛いまま投げていました。ああーって叫びたいくらいの痛み。それでも投げなあかんと思って投げたら、ボールが変なところに行ったんです。投げた後、声が出せないくらい肘が痛かった」

辻内は「プロにしがみつくだけに投げていた」と明かす。
シーズン終了後の若手選手主体のフェニックスリーグ、肩と肘に痛み止めを打ちなんとか速い球を投げる。来期への希望を見せてなんとか解雇を免れる。冬に無理をするから春先はずっと痛い。それで無理をしてシーズンを棒に振る…。

99年、阪神タイガースドラフト1位された的場寛一は入団直後、メディアが怖ろしくなる。

「入団会見のあと、ドラフトで指名された選手全員で甲子園球場と合宿所を見学したんです。
新聞記者の人から“甲子園どうですか?”と聞かれたので“もう素敵ですね”と答えた。
また別の記者が“こんなところで左中間真っ二つのツーベースとか打ったらいいですよね”と話しかけてきたので“そりゃそうですよね”と相槌を打った」

すると、翌日の『デイリースポーツ』1面には甲子園に立つ的場の写真に『イメージわいた 的場 上原打てる』という見出しが躍り、このような文章が書かれていた。

「一番、ショート・的場。場内アナウンスを受け、甲子園初打席に立つ。マウンド上には巨人・上原。20勝投手の初球は真っすぐ。的場の打球は快音を響かせ、弾丸ライナーであっという間に左中間フェンスに達していた。
『左中間真っ二つ。悠々の二塁打でしたよ』
的場はスコアボードを眺めながらにっこり笑った。宿敵を打ち砕いた“甲子園初打席初安打”。的場はプロとして生きていく姿をしっかりと頭に描いていた」

チームに入ると、他の先輩選手がよそよそしい。
メディアを通した的場は大言壮語の新人選手だった。
的場はその誤解を解くのに時間を要したという。
そして記者が信じられなり、人間不信になっていた。

8人の元プロ野球選手の、8通りの人生。

田崎は取材した元プロ野球選手たちを

“アマチュアで活躍し、期待を背負ってチームに入るまで”
“チームに入ってから”
“プロ野球選手ではなくなってから”

という3つの時期に分け、丁寧に話を聞いていく。

そこには18歳、いっても二十歳そこそこの青年が突然訪れた人生の岐路に悩み、それぞれの選択を選んだ結果、起きた人生ドラマがある。

「野球はドラマだ、人生だ――」

ヤクルトスワローズ球団歌『飛び出せスワローズ』にはこんな歌詞がある。
けれどこれはスワローズだけに限った話ではない。
すべての球団、いやアマチュアも含めたすべての野球選手には、野球を続ける上で日々何かしらのドラマが生まれている。
『ドライチ』を読むと、そんなことをあらためて考えさせられる。

○「ドライチ」田﨑健太(カンゼン)

Photo

ドラ1の宿命、自分の扱いは『異常だった』(辻内崇伸)

骨折で球速10キロ減。アメリカでのピッチングとは天と地の差(多田野数人)

マスコミに追い回され、人と会いたくない。人間不信になっていました(的場寛一)

頑張れという応援が皮肉に聞こえる。鬱病だったのかもしれません(古木克明)

好き勝手書いた人たちを見返してやろうと思った。それで取材拒否してやろうって(元木大介)

困惑のドラ1指名。「プロ野球選手だったという感覚は全くない」(大越基)

笑顔なき記者会見「なんでロッテなんだ、西武は何をやっているんだ」(前田幸長)

指名された時、プロへ行く気は全くなかった。0パーセントです。(荒木大輔)

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