« July 2017 | Main

August 2017

August 07, 2017

心に刺さった棘が抜けない ―今村夏子「星の子」

Photo

〇「星の子」今村夏子(朝日新聞出版)

 

読み始めてすぐに「これはもう絶対すごい作品だ」と確信するような小説がたまにある。

ごくごくまれに「最初の出だしはあんなに面白かったのに…」と急降下してしまう作品もあるが、多くははそのまま「すごい」テンションで読み続けられ、そのまま「面白かった…」と読み終わる。
今村夏子の「星の子」もそういう読み始めてすぐに「絶対すごい」と確信し、「面白かった…」と読み終わった作品だった。
ただ違うのは、読み終わったときに強烈な棘が刺さったような感覚があり、それが読後丸一日経とうとしている今もずっと刺さり続けていることで。
「星の子」は中学3年生の女の子、ちひろの目から見た家族の物語だ。
ちひろは生まれつき身体が弱く、小さいころは湿疹が消えずに夜泣きを繰り返して、両親はその手当てに疲弊していた。
そんなとき、父親の同僚である落合さんから「この水を使って体を拭いてごらん」とある水を渡され、半信半疑のまま体を拭いていると少しずつ発疹が減っていき、やがて完治する。
落合さんが渡してくれた水は「金星のめぐみ」という通信販売をされていた水で、販売しているのはある宗教組織だった…。
 
この小説は全編を通じて「不穏」な空気に包まれている。
しかしその「不穏」はずっと満ちあふれているわけではなく、平凡でなにげない生活の中にチラッと出てくる。
それが怖い。
怖い、という言葉は間違っているかもしれない。
なぜならこちらから見て「違和感」や「異常」なものが向こうからすると「日常」「通常」として捉えられていた場合、それは何もおかしなことはないからだ。
その違和感をどう説明していいかわからない。
そんなもどかしさがこの作品には描かれている。
 
私たちは、すぐに他人を線引きする。
あの事件の犯人はちょっとおかしい人だったらしい。
あの政治家は裏でこんなことやってたらしい。
あの人は、〇〇って宗教の人だから。
 
けど、犯人の人も、政治家も、宗教に入っている人も、その人からすればその人なりの「普通」がある。
その「普通」は、どんな見え方をするんだろうか。
 
今村夏子は不穏さを表すのに狂人がナイフを振り回すような表現はしない。
目の前のニコニコした人間のジャケットがめくれたときに胸ポケットにナイフがあるのが見えてしまったような、そんな表現をする。
普通とは何か。
家族とは何か。
人と人の関係を変えていくのは大仰な舞台や劇的なドラマではなく、普段の延長線上にある本当になにげない出来事だったりする。
 
こんなに平易で、こんなに読みやすく、こんなに刺さる小説はそうそうない。
読み終わってから、ずっとあの最後のシーンのことを考えている。
 

夏季休業のおしらせ

いつもご利用ありがとうございます。

8/13(日)~15(火)はお休みいたします。

ご迷惑をおかけいたしますが、よろしくお願いいたします。

伊野尾書店

« July 2017 | Main