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August 07, 2016

「普通」という線を引くことは「普通」なのか/「コンビニ人間」村田沙耶香

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○「コンビニ人間」村田沙耶香(文藝春秋)

※第155回(2016年)芥川賞受賞作

 

古倉恵子は36歳。独身。
18年間同じコンビニでアルバイトを続けている。
すべての行動規範はコンビニの仕事にあり、コンビニの仕事こそが彼女の人生を規定している。
そんな折、恵子の店に言動に社会性を欠いた男性・白羽が同じアルバイトとして入ってくる…。

村田沙耶香は常に「普通って何?」ということを小説に書く。
普通の恋愛って?
普通の結婚って、普通の家族って何?

今回はそれが「普通の人間って何?」に広がった。
友達のいない恵子が18歳の時にコンビニでアルバイトを始めると、家族は喜んでくれた。
しかしそのまま働き続けて36歳になった恵子を家族も友達も異物を見るように見ている。
普通、就職するんじゃないの?
普通、結婚するんじゃないの?
恵子自身は何も変わっていないのに、周りの視線は変わっている。

私たちは同質性に弱い。
同質圧力に弱い。
「みんながそうする」と聞けば「そうしないといけないのかな」と思ってしまうし、無意識に「そうしないといけない」と考えてしまうこと自体に疑問を挟まないし、なんだったら「みんな」の側に回ってそうじゃない人をこちら側に引き込む努力をしようとする。
下手をするとそれを「善意」と考えていたりする。

けれどそれは「普通」なのか。
自分と違った考えや生き方の人をこちら側に矯正しようとすることが「普通」という、その「普通」とはなんなのか。
それこそ「異常」ではないのか。
そもそも「普通」という線を引くことは「普通」なのか。

「コンビニ人間」は村田沙耶香作品のなかでたびたび使われる「わかりやすい異常な設定」は出てこない。
それがゆえにかえって「世界の普通/異常を分ける境界線」の曖昧さを、脆さを浮かび上がらせる。

コンビニの仕事のために24時間の使い方を規定する恵子を私は笑えない。
朝は同じ時間に起き、仕事のために時間内に食事や排泄をすませ、仕事のために時間を費やすことに違和感を覚えなくなった自分は恵子と何も違わない。

誰かを上に見たり、あるいは下に見たり、別の誰かと比較したり、あるいは無理に同じ価値観に入れようとする行為から自由になりたい。
自由になりたいと思っているのに、結局は人の輪から外れずに中に入りたいと思っている。

「異物を認めないこの社会に復讐する」といって結局はその「異物を認めない社会」の規範に引きずられる白羽の姿はそのまま自分の背中に重なる。

村田沙耶香は恐ろしい。
村田沙耶香の小説はいつも「普通って何なの?」という意識の土台を揺り動かしてくる。

(H)

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