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November 2015

November 15, 2015

天龍源一郎がいたから

1989年春。
僕は中学三年生だった。
この頃、僕は学校に友達らしい友達がいなかった。
クラスでちょっとおっかない同級生に目をつけられ、そこまで深刻ではなかったが、たびたびいい気持ちのしないちょっかいを出されていて、学校に行くのが憂鬱だった。
部活は中高一貫だったので中3でも先輩がおり、その中の一部の先輩と反りが合わず、折り合いを悪くしていた。
そして急激に成績を落とした。
落ちた理由が自分でもわからず、そのことでまたさらに不安になった。

毎日ありとあらゆることが懸念材料で、不安材料になった。

そんな不安から逃避させてくれるのは、週に一回のテレビのプロレス中継と、週に一回出る「週刊プロレス」だった。

そしてその中心にいたのは、天龍源一郎だった。

天龍はそれまで鶴田の下にいる二番手のレスラーだったのだが、停滞する団体内の空気を払うように鶴田の元を離れ、敵対する側に回っていた。
それまで良く言えば常に余裕を見せる、悪く言えばあまりやる気のない試合をしていた鶴田も自分の下にいた人間が突如自分を追い落とそうとすることに危機感を抱いたのか、猛烈に激しい試合をするようになった。

鶴田と天龍はそれまでの日本のプロレスになかった試合をしていた。
僕はふたたび毎週「全日本プロレス中継」を見るようになった。
そして、気持ちはいつも鶴田に歯向かいつつ、体格面で鶴田に劣勢を強いられる天龍の方を応援していた。


ある日の授業中。美術の時間だった。

美術の先生は生徒を統率する能力が低く、生徒は各自がそれぞれ課題の絵を描くという名目の元、好き勝手に騒いでいた。

喧噪の美術室で、僕は一応は出さないといけない絵を黙々と描いていた。

そこに例のちょっとおっかない同級生・N君から絵具が飛んできて、制服の左手の当たりに緑色の絵具がベチャッとついた。
向こうの方でN君と彼の仲間がニヤニヤ笑っていた。
僕の隣にいた同級生は自分への被害を避けるため、僕から逃げるように道具を持って離れていった。

もちろん怒りは沸いている。沸点に達しようとしている。
けど、バスケ部で身体を鍛えているN君に突っかかっていく勇気がなかった。
トラブルになったらまず介入してくるであろう彼の仲間たちをどう処理するかも考えつかなかった。
なにより、教室でみじめな目立ち方はしたくなかったし(授業中絵具を投げられる時点でもうある程度みじめな目立ち方をしているのだが)、この期に及んでトラブルを起こして学校から処分されるのも怖かった。

そうして何もやり返せない自分がさらにみじめに思えてくる。
連鎖的な自己嫌悪。
向こうの方で美術の先生がこちらの状況に委細かまわず、自分の絵を描いているのがさらに腹立たしくなる。
家に帰ったあと、母親になんといって汚れた制服を洗濯してもらうかを考え、また鬱になる。
おそらく放課後には回り回って部活の先輩の耳にも入るだろう。
するとあの先輩は「タハッ!ダッセ!」くらい言うだろう。
そこでまた嫌になる。

もう学校来るのやめようかな。

休学ってできるのかな。

学校に来なくていい理由はなんかないだろうか。
休めば試験も受けなくていいし、あいつらとも会わなくて済むし。
なにかしら理由つけて入院とかできないだろうか。

美術室の後ろの流しで雑巾を濡らし、それで制服を吹きながらそんなことを考える。

ふとそのとき、別のことが頭をよぎった。

あ、全日本。
全日本プロレス。
6月5日、日本武道館大会。
入院なんかしてしまったら、あれが見れなくなる。

その日のチケットは、もう買ってあった。
メインイベントはジャンボ鶴田と天龍源一郎、トップ同士による宿命のタイトルマッチだった。

そうだ。見なきゃ。天龍と鶴田の試合を。

天龍はその前の直接対決で鶴田に敗れていた。
今度の試合でも敗れるようなことがあれば、もはや鶴田との闘争は「天龍の敗北」として決着してしまうことが決定的だった。
天龍ファンとして、それだけは見たくなかった。

見なきゃ。応援しなきゃ。天龍。天龍。

こんなところで負けてられない。
なんとしても6月5日に武道館に行きたい。
休学とか入院とか、そんなごちゃごちゃしたトラブルを起こしてたらそんなの見に行かせてもらえないだろう。
なんとかして何事もないように過ごしていかないと。
なんとかして頑張って生きないと。

汚れた制服の洗濯をどうしたのか、N君とどうしたのか、先輩に何を言われたのか、みんな覚えていない。
ただ、一日千秋の思いでその日を迎えた、6月5日の全日本プロレス日本武道館大会だけは強烈に覚えている。

その日は前座から素晴らしい試合に次ぐ素晴らしい試合揃いで、最後は天龍が鶴田に激勝し、ついに初の鶴田越えを果たした。
夢のような大会だった。
結果と言い内容といい、夢そのものみたいな大会だった。

「この夢をもっと見たい」と思った。
次の大会は9月2日だった。
9月までは頑張って生きよう、という目標ができた。
そうして味気ない日々を、プロレスに行く日に合わせて指折り数えて、ただ過ごしていった。

9月の大会、天龍は強豪外国人選手だったテリー・ゴディと戦った。
悪い試合ではなかったが、その日は6月の大会ほど盛り上がらなかった。

けどそうなったらなったで、「では12月の大会は6月の時のように素晴らしいものになるんではないか」と思い、また空虚な日々を送りつつ、12月まで待つようになる。

そうして12月の大会に行ったら、また次の大会ことを考え…で、そのまま継続して、そうしてずっと見てきてしまった。

そこから25年になる。
あの日以来、「何月何日に行きたいプロレスの試合がある」が、いまだに生きる上で大きなモチベーションになっている。
そんな人生になってしまった。

あのとき、1989年6月5日にプロレスがなかったら。
天龍がいなかったら。
あるいはプロレスそのものを見ていなかったら。

少し、自分の人生は今とは違っていたものになっていた気がする。

天龍との付き合い(こちらが一方的に見ているだけだが)には濃淡がある。
追いかけるように見ていた時期もあれば、遠くから動向を見聞きしていただけの時期もある。
近年は後者の期間が長かった。

でも、自分の根っこにあるのは何か、と問われたら、そこには「天龍源一郎」がいつもある。

迷ったとき。
困ったとき。
苦しかったとき。

判断の基準になるのは、いつも「天龍だったら今の自分を見てなんて言うだろう」「天龍だったら今の自分の状況で何をするだろう」だった。

天龍は決して愚痴を吐かなかった。
マスコミに叩かれた時も、ファンに罵声を浴びた時も、会社にお金がなくて借金をした時も、そのせいで断腸の思いで選手を解雇したときも、大事にしてきた選手に去られた時も、腰が悪くて満足に動けない時も、経営していた寿司屋を廃業することになっても、絶対に泣き言を言わなかった。
前を見て、本当はどんなに苦しくても「これぐらい平気だ」という態度で言葉をつむいだ。

その姿を私はずっとロールモデルにしてきた。

今日、11月15日。

私のロールモデルは、ついに引退する。

けれど、引退してもなお自分の価値観の礎には、今もって天龍がいる。

中学生だった自分は今41歳になった。
天龍が41歳の頃は、「苦しかったことしか記憶にない」という新興団体・SWSの立ち上げ二年目の頃だ。
天龍はそこからプロレス史に残る活躍をしていった。
ということは、自分もこれからまだまだ新しいことをやらないといけないのだろう。

65歳になった天龍源一郎は最後の試合で、現IWGPチャンピオンのオカダ・カズチカと対戦する。
無謀とも呼ばれた試合で、天龍は何を見せるのだろう。
そしてそれを見て自分は何を思うのだろう。

長い長い物語が、いま幕を下ろそうとしている。

 

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November 07, 2015

「中井文庫2015」結果発表

11/1をもちまして、「中井文庫2015」は終了しました。(1日伸ばしました)

販売ランキングで言うとこんな感じになりました。

【1位】

・梶原直子さん(中井駅前歯科)推薦 「孤独か、それに等しいもの」大崎善生(角川文庫)

【2位】

・羽山 將太さん(信用金庫職員)推薦 「かばん屋の相続」池井戸潤(文春文庫)

・清野茂樹さん(アナウンサー)推薦 「ときめかない日記」能町みね子(幻冬舎文庫)

・鈴木 (伊野尾書店従業員)推薦 「かのこちゃんとマドレーヌ夫人」万城目学
(角川文庫)

・伊野尾宏之(伊野尾書店店長)推薦 「晴天の迷いクジラ」窪美澄(新潮文庫)

伊野尾書店の二階に入居している歯医者さんの先生である梶原さん推薦の本が一番売れました。
二位は同数で4作並びました。

いやー…なんでしょうね。
こう言ってはなんですが、毎年何が売れるのか全然読めません。
昨年は「ゲイルズバーグの春を愛す」ジャック・フィニイ(ハヤカワ文庫、栗田出版販売・古橋さん推薦)だったのですが、今年との共通項がよくわかりません。
しいて言うと装丁のキレイな本なのかな…ぐらいです。

おかげさまで大変評判もよく、素晴らしいことに「1冊も売れなかった本は0」という、非常に満遍なく、団子状態な感じの売れ方をした今年の「中井文庫」でした。
無料配布の小冊子が昨年よりも多く、3刷り300枚までいきました。結構インク代がかさむので、来年はスポンサーを募ろうと思います(笑)。

もし中井文庫の小冊子に広告載せたいという会社様ありましたらご連絡ください。

来年の秋にもまたやりたいと思ってます。

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他人を見ながら自分を変える ~中村キヨ「お母さん二人いてもいいかな!?」

子供の頃、自分という人間の評価軸はいつも親だった。
親の評価が自分の評価。
お祖母さんとか、よく会う親戚のおばちゃん、近所の大人、それに学校の先生なんかの評価も多少は気にするのだけど、その人たちの評価が親の評価を上回ることはなかった。

親がほめてくれれば「いいことをしたんだ」と思ったし、親に叱られれば「よくないことだったんだ」と思った。
仮に社会的によくないことだったとしても、親がほめてくれればいくらでもやっただろう。
そういう風に育った。

それが中学生になり、高校生になり、大人になっていくと、評価軸が外になっていく。

評価軸は同級生であったり、テレビや雑誌などのメディアであったりになり、だんだんと親ではなくなっていった。
逆に親が「それはよくないよ」というようなことであっても、仲の良い同級生との間で「よいものだ」とされているものだったらそっちに流れて行った。

そうして社会人になり、四十を超えた今の自分の評価軸はどうなってるかというと、親でも同級生でもなく、「社会」というえらく遠くなった外側の物差しと、40年以上生きていて作ってしまった「自分」という内側の物差しになった。
そうすると他人の評価に揺れることが少なくなり、そのことにまた小さな不安感を持ったりする。
それで本を読んだりする。

中村キヨ「お母さん二人いてもいいかな!?」(ベストセラーズ)は同性愛の女性二人(婦妻と称される)とその三人の子供たちの家族物語である。
主人公のキヨさんとそのパートナーであるサツキさんは、子供は外で作り、生まれたあとは二人で育てる、という形をとっている。
「生んだ親と育てた親が違ってるのはよくあること」という話が出てくるが、それは親が同性愛者でも異性愛者であっても変わらない。

この5人の家族は「父、母、子供」というよくある家族システムから見るとちょっと変わった点がいくつか出てくる。
キヨさんのかつての恋人の写真を見たサツキさんが沸くのは、嫉妬ではなく恋愛感情だったりする。
キヨさんにはサツキさん公認で他に「彼女」がいる。
(そうなったのにはいろいろな理由があり、そのことも本文で書かれる)
そういった「ちょっと変わった事情」を別にすれば、直面するのはどこの家族にも共通する問題ばかりだ。

二人目の子を産んだサツキさんは産後うつになり、育児をすることができなくなる。そのとき家族はどうしたらいいのか。

サツキさんの最初の子であるモトナリくんは父親がいないことを気にしているが、直接そのことを二人の母に言わない。では二人はモトナリくんになんて話をするのか。

モトナリくんに「ねえ、どうして女の人にはちんちんついてないの?」と唐突に聞かれたとき、二人はなんて答えるか。

そして子供にセックスを見られたら、どういう対応をしたらいいのか。

少なくない人が「なあなあ」ですませたり、問題を横に流してなかったことにしてしまうような家族問題を、二人の母は正面きってぶつかる。
その二人の母も一心同体とはいかず、サツキさんはうつのこともあってキヨさんに精神的に強くもたれかかったり、キヨさんはサツキさん以外にも交際相手がいることで、関係がややこしくなっていたりする。

それでもやっていく。
そこは家族だから。
それは男も女も関係なく、「家族」という枠組みに入ったら、いいも悪いもなく、その枠組みの中でなんとかやっていかなければならないのだろう。

それにしてもこの本を読んでると、キヨさんがしばしば見せる「人間対応力」の高さに感動する。
産後うつになり、「私のことをダメな母親だと思ってるんでしょう」と繰り返し当たるサツキさんに対して。
出生や男女のことを純粋に知りたがるモトナリに対して。
望まない離婚を強いられた同性の友人から発せられる、素直な嫉妬の感情に対して。
丁寧に。相手の負の感情に巻き込まれないよう、否定せず受け入れて。相手に受け止められる言葉で。
この人を温める言葉の発信力はなんなのだろう。
これこそ本当の意味での「神対応」なのでは…!と読んでて震えた。

そう言いながらも、きっとキヨさんは最初からこうだったのではなく、毎日の中での小さな出来事を「こうしたらいいのかな、ああしたらいいのかな」と一歩一歩踏みしめていった結果がこうなのだろう、と思う。
(最初の方に正論で相手を追い詰めてた頃の悔恨のような話が出てくる)

人は他人を見ないと成長しない。
他人を認めないと前へ進めない。

この本はちょっと変わった家族の話だけど、「他人を見ながら自分を変える」本でもあると思う。
他人を知らないと、自分の評価軸はいびつなものに凝り固まってしまう気がする。

いま自分には子供が二人いる。
彼らの評価軸に自分がなっているのだと思うと、思考がかなりぐらぐらと揺れる。
本当に正しい評価軸になっているのか、不安になる。
ちゃんと教えられているんだろうか。
気を抜くとすぐその迷いに捕らわれる。

その問いに対する明確な答えは見つからない。
ただ、この本を読んでから、「認めること、受け入れること、届く言葉を投げかけること」の大事さをあらためて思った。
できることをやっていくしかない。
きっといつかはこいつらも自分じゃないところに評価軸を求めていくんだろうけど…と思いながら、今日も食卓でお茶の入ったコップをこぼす長男にイライラしながら、乾いた布巾でテーブルを吹いている。

「自分の叶えたいこと叶った人は羨ましいし
 叶わない願い事持つと重たいし
 羨望に苛まれる自分を認めるのも苦しいことですよ」

(第三話「つまり、妻を男性に寝取られました」より)

(noteで試し読みができます) https://note.mu/nakamuraching/n/na6965e1abfa5

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November 01, 2015

遠回りしてきたからこそ、見えてくるもの  ―鈴木みのる「プロレスで〈自由〉になる方法」

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〈「かいしゃいんのメロディー」大橋ツヨシ(竹書房)より〉

 

鈴木みのるはかっこよかった。

それはもう完璧だった。

漫画「BE-BOP-HIGHSCHOOL」から飛び出てきたような、わかりやすく“ツッパリ”な感じ。
何もバックボーンのないままプロレスに入った来た少年が、成長とともに磨かれ、強くなっていくその過程。
既存のプロレスを飛び出し、UWFという新興勢力を飛び出し、キックボクシングに挑戦し、“プロレスの神様”の弟子となり、ピュアに「強さ」を求め続けるその姿勢。
ハイブリッド・レスラーとして鍛え上げられた美しい肉体。
頭からかぶったタオルの隙間から覗く、「アイズ・オブ・ビースト」とも称された闘争心を宿した目。
どこまでも攻撃的な言動とレスリングスタイル。

私たちは鈴木みのるに酔い、鈴木みのるに夢を見ていた。

しかし、鈴木はいつも大事な試合で負けてきた。

1989年11月、UWF東京ドーム大会、モーリス・スミス戦。

1993年11月、キックボクシングルールで行ったモーリス・スミスとの再戦。

パンクラスのリングで行われたスミスとの再々戦は勝利したものの、パンクラス頂上決戦となった船木誠勝との試合で完敗。

キング・オブ・パンクラシストに輝いたこともあったが、ケガもあって連敗が続き、デビュー半年の若手選手に負けたこともあった。

強さだけを追い求めた男が負けていく姿を、私たちは直視できなかった。
“完全実力主義”を標榜していたパンクラスのリングで、一人「キャッチレスリング」という特殊ルールで試合をしていた鈴木を、私たちは「あー、鈴木ね…どうにかまた輝いて欲しいよね」と扱いに困る選手として見るようになった。

かつて彼に見た夢は遠く消えていた。

やがて、鈴木は紆余曲折の末に自ら築いたパンクラスという団体を離れ、プロレスに復帰することになる。

鈴木のプロレス復帰第一戦、日本武道館で行われた新日本プロレスでの成瀬昌由戦を当時見に行った。
鈴木が出てきた時、「あれ?鈴木みのるってこんなに小っちゃかったっけ?」と思ったことを覚えている。
その時の鈴木はとても小さく見えた。
試合もそれほど大きなインパクトがあったようには見えなかった。
2003年の鈴木は、もがいていた。

そんな鈴木みのるは、今押しも押されぬプロレス界のトップにいる。
今年で47歳。
すでに同世代のレスラーの多くが引退するか、一線を退いている。
にもかかわらず鈴木はトップに君臨している。
何より特筆すべきは、彼が観衆1万人クラスのビッグイベントのメインに出ることもあれば、観衆が100人にも及ばないインディー団体やイベントプロレスにも出場していることだ。
どんな規模のどんな大会でも、そこに自分が出ることの価値や意味があれば、試合で観客を満足させる。彼は本当のプロフェッショナル・レスラーになっていた。

2003年の鈴木みのると、2015年の鈴木みのる。
鈴木が最近出した新刊「プロレスで〈自由〉になる方法」(毎日新聞出版)を読むと、その12年の間にあったこと、考えたことが語られる。
鈴木はこの本の中で「遠回りしてきたからこそ、見えてくるものがあった」と語る。

「遠回り」という単語を聞いたときに、かつて彼が大事な試合で負けてきたことは、ここにつながるためのものだったのかもしれない、と思った。

誰だって勝負には勝ちたい。

勝たないと手に入らないものがあることはわかってる。

それでもなお、負けたその先の道に、自分がまったく違う地平から、はるか上に浮かび上がれる道がきっとある。
それを見つけられるか、見つけられないかの違いなだけで。

強さを求め続けた鈴木が強さを手に入れられなかったとき、別の「強さ」を手に入れる一歩が始まっていた。

鈴木は言う。

「強くはなりたかった。でも、本当のことを言えば、それ以上に『スター』になりたかった」(まえがきより)

手に入れられなかったことで手に入れられるものが、誰だって必ずある。

確実に、ある。

「それまでは「カッコいい死に方」を求めていた。

でも今は「いかにして死ぬか」ではなく「いかにして生きるか」を考えてる。

かっこよく死のうとしたけど、力のない者は死に方すら選べなかった。

『ああ、オレは死に方すら選べないんだ』と思った瞬間、『いやだ、死にたくない』と思ってしまった。

自分のプライドを捨てる覚悟さえあれば、もう一度生きることができるぞって思えたね」

(鈴木みのる「プロレスで〈自由〉になる方法」 最終章より)

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