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May 29, 2015

こぼれおちた人生の欠片を拾い集めて― 岸政彦「断片的なものの社会学」

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新宿のZARAで私はチノパンを見ていた。
平日の夜、外は雨で、お客さんは少なかった。
いくつかのパンツズボンからこれにしようと決めたカーキ色のチノパンは私のウエストに合うサイズがちょうどなく、一つ上のサイズと一つ下のサイズどちらを買うべきか、あるいは見切りをつけて別の店に行くべきか考えていた。

すると隣りに四十代くらいの化粧の濃い女性がやってきて、私が見ていたチノパンを引っ張り出して物色し始めた。
私は少し場所をずれて隣の棚の黒いパンツを見るともなしに見ていると、唐突に「38と95はどっちがいい!?」とその女性が口にした。
独り言?と思いつつ横を見るとその女性と目が合ってしまい、女性はあらためて私に向かって 「38と95はどっちがいい!?」ともう一度言った。
そこで初めて女性が東南アジア系の人だということに気がついた。

私の方を見て聞いてるからには何かしらの返答をしなくてはならない、と思い「38と95?サイズのこと?」と聞いた。
女性が手にしていたチノパンのタグには38という数字がついていた。
女性は困った、という顔を一瞬したのち、またあらためて 「38と95はどっちがいい!?」と言った。
38がサイズのことを指しているのはわかる。95はなんだろう。それとも「95」に聞こえたけど違うことを言ったのだろうか。
「95?」とおうむ返しに聞くと女性はフッと笑って、レジカウンターの方に歩いていった。
レジカウンターの店員に同じ事を聞くのか、と思ったらそのまま二言三言店員と話して、そのまま店を出ていった。チノパンは買わなかった。
あの女性が何を聞きたかったのか、ずっと気になっている。

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本屋になったばかりの頃、一人で店番をする時間があった。
金曜日の晩、あと30分で閉店するという時間帯に声の大きな少年たちがドカドカと入ってきた。
少年は4人組で、全員金髪にヤンキーファッションで、皆それほど背丈は大きくなかったのに威圧感があった。
ドラマ「池袋ウェストゲートパーク」に出てくる「Gボーイズ」を思い出した。
少年たちはコミック売り場に向かっていった。
そのうちの一人が店内でジュースを飲みながらカレーパンを食べていたので私は追いかけて「飲食は外でしてもらえますか」と声をかけた。
彼はこちらを見ようともしない。別の少年が「おい、外で食えってよ、ははは」と笑っている。コミックを手にとっている少年もいる。
私はカレーパンの彼に声をかけながら、気持ちは他の少年が万引きをするのではないかとそちらに神経がいっていた。

店内は私一人である。少年たちの他にお客さんはいない。
なるべく穏当に出て行ってほしいと思っていた。
反応のないカレーパンの少年の目の前にいって「ここは店だ。食べるなら外で食べてくれ」と少し強めに言った。
少年が敵意に満ちた目でこちらを見て、カレーパンの入った袋を足元に捨てて、そのまま店を出て行った。
ガヤガヤ騒いでいた他の少年もそのあとすぐに店を出て行った。
深呼吸して落ち着きながら、この間他の少年たちを目で追えていたわけではなかったので万引きされてなかったか、そればかり気になった。

少年が落としていった袋は近くのパン屋のものだった。
そこのパン屋にはカレーパンがいまでもある。
それを見るたび、あの日の光景を思い出す。
最初こそ嫌な思い出であっても、十何年もするとそれは遠い日の風景のようになってしまう。
思い出しながら、そのお店で私は普通にカレーパンを買う。

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大学を出てから就職せずフリーターをしてた頃、大学の同級生男子3人と那須に旅行に行った。
那須の貸し別荘でバーベキューをして、温泉に入り、花火をした。
なんで野郎ばかりでバーベキューしなきゃいけないんだ、と悪態をつきながらずっとゲラゲラゲラゲラ笑っていた。

次の日、一人が予定があるからと先に帰り、残った二人と私でどこかに行き(どこだったか思い出せない)、じゃあ帰るかとなって那須から宇都宮方面に戻ることになった。
車が午後の傾いた日差しに照らされながら那須近郊の深い木々の覆う森のようなところを走ってると、ラジオからシックスペンス・ノン・ザ・リッチャーの「Kiss  me」という曲が流れた。
私たちは連日はしゃぎすぎて疲れたのか、車内の会話は途切れがちになっていて、私は友達の運転する車の後部座席でずっとその曲を聴いていた。
甘い歌声とメロディーラインを聞いているうちに、急に襲い掛かるように猛烈に悲しい気持ちになった。
これまで体感したことがないくらいの身を焦がすような感情が身体から沸いてきた。
好きな女の人が欲しい、恋愛をしたい、友達との楽しい時間がまもなく終わる、明日からまた平凡だけどストレスの多い日常が再開される、いろんな負の感情が混ざりつつ、それを前の座席に座っている二人に見せないように、必死に心をガードした。
感情が飛び出さないよう、外を眺めることで必死にこらえた。
その日は私の23回目の誕生日だった。

どこかで「Kiss me」を耳にすると、今でもあの森のなかの道を思い出す。なぜあんなに悲しかったのか、今もよくわからない。

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私たちは断片的な記憶でできている。
そのまま沈んでなくなるような、小さな記憶の山でできている。

岸政彦さんの「断片的なものの社会学」には、小さなエピソードがいくつも出てくる。
そこにはリアルな人生がある。
そこから感じるものがたくさんある。

誰にでもある。
誰でも持っている。
けど見落としてたり、存在すら気づかなかったりする。
生きているとあちこちに人生の欠片は落ちている。

そんなこぼれおちた欠片を集めて作った宝石のような本です。
読んでみてください。

○「断片的なものの社会学」岸政彦(朝日出版社)

http://www.asahipress.com/bookdetail_norm/9784255008516/

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