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March 2015

March 18, 2015

自意識と無意識と美意識

高校の時の友人E君はどこか遊びに行くと、すぐ通りすがりの女の人を査定する人だった。
街を歩いていても、電車に乗っていても、どこか店に入っても、すぐ通りがかった女の人や女の子を見ては
「お、かわいい」「くーいいオンナだねえ」と口にした。
「今の子かわいくない?」「ああいうお姉ちゃんとどう?」みたいに同意を求めてくることも多かったので、そのたびに「あー…そうね」とか生返事をしてると「なんだよノリ悪いなあ。ホモなんじゃねえの?」と口にした。

アイドルとか芸能人ならともかく、通りがかりの女の人の容姿を公共の場であれこれ口にすることに抵抗があった。
そもそも私たちは正真正銘の童貞少年であり、人のことをとやかく言う以前に自分の容姿がよいとも思えなかった。もっとも容姿がよいからって言っていいものでもないが。
E君は一緒に遊ぶ分には楽しい人間だったが、街中を歩く容姿のいい女の人をハンターのように探す姿勢と、それに関して熱心な批評を続けるところはどうにも合わなかった。

こう書くと自分は分別をもって女の人を見ていて、街中を歩く容姿のいい女の人に興味がなかったように思われるかもしれないが実際のところはそうでもない。
私は高校の時は自転車通学だったが、近くの女子高に通学する生徒の列とすれ違うときは常に意識がフル稼働してそちらを向いていた。
本当はE君のように女子高生の列をじっくり見たかった。
恥ずかしくて見れなかっただけで、根っこにあるものは変わらなかった。

かわいい女の子と仲良くなりたい。
結局のところ私もE君もそう思っていた。
じゃあかわいくない子とは?
別に仲良くはなりたくない。
ほとんど意識する以前の、自然の摂理ぐらいにそう思っていた。

けど、それってどうなのだろう。
男子校だった高校の友達グループを見渡してみると、容姿の差がわりとバラバラだった。
野球部で精悍な顔つきをしていたしっかり者のY君はモテそうだった。
将棋部で背が低くメガネをかけてゲームが趣味だったI君はあまりモテそうになかった。
じゃあY君とは仲良くなってI君とは疎遠になるかといえばそうでもない。
遊びにいったりしゃべってる分には何も違いはない。

それが女の子になると、どうして変わってしまうのだろう。
疑問に思いながら、かわいい子を見れば途端に「お近づきになりたい」と思い、そうでもない子は意識から除外する。

でも、よく考えれば、「かわいくない」女の子が自分たちを「仲良くなりたい相手」と認識するかは別の話だ。
そもそも口ばっかり達者で見た目はパッとしない17歳の童貞少年だ。
そう思わない可能性は高い。
にもかかわらず、私たちは「ブスにやさしくするとなつかれる」的な価値観を共有していた。
人前で女の人の批評するかしないかの違いはあれど、私とE君はそこの部分は同じだった。

結局のところ、当時の私たちは女の人や女の子を「人」として認識していなかった。
自分のスペックについたいろんな能力値(見た目とか会話とか経済力とか)を上げてアプローチすれば手に入る、宝箱みたいなものとして考えていた。
だからこそあまり良いものが入ってそうにない宝箱を見ないようにした。

でも女の人は宝箱じゃない。人だ。感情と価値観と思考回路がある、自分たちと同じ人だ。

そんなことがわかるようになったのは、実は結構最近のことだ。
そしてたぶん、部分部分ではまだちゃんとわかっていない。
どこかで無意識にまた「街行く女の人を批評する」的な、相手を生きた人と思ってないような行為をしてしまってるんじゃないかという気が絶えない。
自分ではわからないだけで、たぶんきっと何かしてるだろう。

田房永子さんの「男しか行けない場所に女が行ってきました」(イーストプレス)は、田房さんが風俗やエロ雑誌業界で体験したことやそこで働く人たちとのエピソードが書かれる。
多種多様な風俗産業の話はみんな面白いし興味深いのだけれど、読んでいるとそれ以前というか、「男の人たちが女の人たちを見た目で選ぶことに疑いを持たない構図」みたいな話がちょいちょい出てくる。
そこにすごく実感がある。
痛いところを言われた、という気がする。

AKB総選挙のことを最初に知ったとき、なんて恐ろしいことをするのだろうと思った。
それは男たちが陰でコソコソやっていることで(クラスの女子のランキング的なものを積極的に論じたがる男子は多い)、そんな公にやっていいものなのか、けどAKBは容姿やキャラクターを価値に代えるアイドルというビジネスだし…とモヤモヤ思ってるうちに「なんとなくそういうもの」として認知されてしまった。

「かわいい女の人」に、なぜ男たちは振り回されてしまうんだろう。
理由なんてないのかもしれない。
そんな当たり前のことを、なぜこれが当たり前になってるんだろう?と考えさせる力がこの本には溢れてる。

二十歳の頃、バイト先の休憩室で同僚5~6人と「いま欲しいもの」という話になった。
同い年の男性バイトK君はスズキのなんとかというバイクを挙げ、二歳下の男性バイトK君はポールスミスのスーツ、と確か答えていた。
「伊野尾君は?」と同僚の女の子に聞かれ、即答で「デリカシー」と答えた。
女の子は「ああ…」という反応になり、場が静まり返った。

二十歳の自分にもし逢えるなら、田房さんのこの本を渡したい。
「君が欲しがっているデリカシーの〝デ”の字くらいはこの本を読めば得られると思うよ」と。
ついでに「普通の会話の中に突拍子もない答えを混ぜて『俺すげーんだぜ』みたいに悦に浸る行為は20年後に『中二病』と言われて蔑まれるんだよ」とも。

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”健康な”男たちはいつでも自分を軸にものごとを考える。
ヤリマンの話をすれば「俺もやりたい」と口に出し、「ヤリマン=当然俺ともセックスする女」と思って行動するし、男の同性愛者の話をすれば「俺、狙われる。怖い」と露骨に怯えたりする。
そこに、「他者の気持ち」「他者側の選ぶ権利」が存在することをすっ飛ばして、まず「俺」を登場させる。
そのとてつもない屈託のなさに、いつも閉口させられる。

 

マニアックなエロ雑誌の編集長をやっていた女性が言っていた。
「一番つらいのはたくさんの宣材写真の中からモデルを選ぶとき。徹底的に『美しいかどうか』だけで判断しなきゃいけない。
美しくなきゃ『使い物』にならないから。
美しい人を選ぶっていうのは、そうじゃない人の粗を見つけるってことでもある。女の人をそういう風にピックアップする作業は全然楽しくなかった」

(「男しか行けない場所に女が行ってきました」本文より引用)

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March 08, 2015

「このへんって食べるところないですよね」としょっちゅう言ってた僕は「このへん」に何があるのかを知ろうともしていなかった

歌舞伎町のゲームセンターでアルバイトをしていた頃、休憩中に食べる食事がいつも同じで飽きてました。
だいたいバイト先の近くにあった松屋かマクドナルドでテイクアウトを買ってきて休憩室で食べるのですが、バイトは週に4日から5日通ってたので、松屋→マック→松屋→マックを繰り返して。
まあ飽きますわね。
いくらいろいろメニューがあると言ったって、やっぱ松屋は松屋味だし、マクドナルドはマック味になるわけで。
バイトの休憩時間は30分で、その時間内に戻ってくれば外で食べてきてもよい、という決まりはあったのですが30分で食べて帰ってこられるところは出てくるまで時間がかかると焦るし、時間のかからない立ち食いそば屋はちょっと離れてて往復の移動が急ぎがちになってしまい、落ち着かない。
駅前にコンビニはあったのですが、最近は改めましたが当時の私は「コンビニ飯はまずい」という認識が強く、あまり買う気になれず。
そうして松屋とマクドナルドの食事を繰り返してたのです。「飽きたなあ」と思いながら。

バイト先の同僚の人によく「休憩中に食べるものってマンネリ化しますよね」とよく言ってました。
そこで「そーだねー」というゆるやかな同意を得たりして、ずっと「飽きたなあ」と言いながら、結局辞めるまでその二つの店で食事を買ってくることを繰り返してました。

で、あれから17年くらい経った今になると思うわけです。
「おまえバカじゃないの」と。
当時の自分に。

飽きたなら違う食事を取れる方法を考えればいい。
15分早く家を出れば、いつも違うところでテイクアウトの食事を買って出勤できるのに。
というか、自分で弁当作っていけば好きなものを安く食べられるのに。
けどそうしなかった。
そういう発想もしなかった。

「飽きた、飽きた」言いながら新しい手段を考えることを放棄してた。
料理すればいいのに、「めんどくさい」と思ってた。
テイクアウトのお店を発掘することも、いつもより早く家を出ることも「めんどくさい」と思ってた。

現状にちょっと違う要素を加えることを何もしないのに、ただ現状を嘆いてる。
誰かが変えてくれるのをただ待ってる。そんな23歳でした。

というのを雨宮まみさんの「穴の底でお待ちしています」を読んでるときに思い出しました。
http://cocoloni.jp/culture/68100/

いや、こっちの方が問題は全然深いのですが。
バイトの休憩飯と一緒にしてすみません。

この雨宮さんの連載は本当に人生の深淵に迫る話ばかりなので、読んでなければぜひバックナンバーからさかのぼって読んでほしいです。
いやーもうなんだろう…短い言葉で言えないですけど。生きるって大変ですよね。

この連載、どこかで早く書籍化されないかな。
いろんな人に読まれてほしいです。

 

☆ブックカバー、ハンカチ、てぬぐい

先週末は「染の小道」でした。
伊野尾書店もこんな感じでのれんがかかりました。

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…手?と思ってたら制作者の方に「これはシスティナ礼拝堂にミケランジェロが描いた天井画のうちの神様がアダムに手を差し伸べてるシーンです」と教えてもらいました。すみません…。

あわせてまた雑貨をまたいろいろ並べてます。

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吉祥の「手ぬぐいハンカチ」が一番人気です。
買った方の二人に一人ぐらいの割合でラッピング希望されてます。

「濱文様」のブックカバーを取り扱い始めました。
http://www.hamamo.net/smartphone/list.html?act=category&category_code=ct520

いろんな柄があるので見に来てください。どれも素敵です。

 

●いろんなフェアやってます

☆春に読みたい本

というシリーズをやってます。4種類の本を選びました。どんな本かはお店で。

1 

2

 

☆「NET21えほんフェア」

NET21グループの児童書担当者が選んだおすすめの児童書のフェアやってます。

Net21

 

☆島耕作も半沢直樹もここにはいない  

○「狭小邸宅」新庄耕/著 (集英社文庫)

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読んでてヒリヒリするお仕事(ブラック企業)小説「狭小邸宅」が文庫になりました。
住宅メーカーのダメサラリーマンが「家を売ってこい、とにかく売ってこい、そこにしかお前の評価はない」という夢も希望もないけどリアルさだけは存分にあるお仕事小説です。
この小説は全然家を売ることができず、成績が上げられないダメ社員が最初に家を売るシーンがいいんですよ。
まー本当にいいのはそこから少しずつ成績を上げられるようになって、すると少しずつ人間が変わっていくところなんですが。
働くことがいかに人間形成の根幹をなしているか、ほとほと考えさせられるお話しです。

 

○「死ぬまでに東京でやりたい50のこと」(青月社)

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「東京別視点ガイド」というサイトの人気記事を選りすぐった本。

「東京でもっとも狂気に充ちた居酒屋に行く」
「ギャルカフェでギャルとタメ語で話す」
「知らない人の自宅に上がり込んでパーティーする」
「下水道にもぐりこむ」
「探偵と飲む」
 …とまあなんじゃそりゃ?っての込みでも大変面白いです。
これはいい本だなあ。
俺も探偵と飲みたい。

 

○「ルポ国家権力」青木理(トランスビュー)

○「メモリースティック ポップカルチャーと社会をつなぐやり方」九龍ジョー(DU BOOKS)

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この二つは両方ともそれぞれ書き手が雑誌に寄稿した文章を一冊の本にまとめたものです。
青木理さんは社会、メディアを中心に。
九龍ジョーさんはサブカルチャー全般に。
それぞれまったく書いてる分野は違うのですが、短い原稿をずっと読んでると今日本でどんなことが起きていて、あるいは生まれていて、それに対して著者二人がどんなことに注目しているのかが伝わってくる、そんな構成になってるところが似ています。
青木さんは「世の流れとは一線を画してでも徹底的に取材して突き詰めていく」スタンス。
九龍さんは「まだ世に出回っていないおもしろいものを見つける」スタンス。
ぜひ読んで欲しいと思います。
いま日本がどんなことになっているのか、よくわかる二冊です。

 

○「永遠のケツ」いましろたかし(エンターブレイン)

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エロいことばかり考えてる立ち食いそば屋店長(45歳)の風流夢譚的なお話。
もういましろたかしはずっとこういうこと考えてるだろうなーと。
アホマンガです。
アホマンガなんですけど、後に残るマンガです。

(H)

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