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May 2012

May 20, 2012

ずっと後ろに通り過ぎてしまった記憶の中に

高校三年生の冬に、私ははじめてアルバイトをした。
自宅の最寄駅から電車で2つ目の駅を降り、坂道を5分ほど上がったところにあったファミレスで週に3回、白いキッチンコートに着替え、厨房でドリアやサラダやその他いろんな料理を作っていた。

もともと、高校のクラスメイトが「一緒にバイトしねえ?」と言ってこなかったら、自分はここにいなかった。
二人で面接を受けに行き、先に終わった自分が後から出てきた彼に「俺キッチンになっちゃったよ。おまえは?」と聞くと、彼は「ああ、ここ稼げなそうだから俺はやめたわ」と何の気なしに言った。
この寄る辺ない気持ちを「梯子を外される」と表現すると知るのはずっと後のことだ。

初めてのアルバイトは初めての社会経験だ。
職場に入る際の挨拶の仕方を教わる。
タイムカードの切り方を教わる。
同じ時期に入ったアルバイトであっても、彼にはできるのに自分にはできないことがあるというのを教わる。
同じ失敗をしても「何してんだおめえはー!」と言われる自分と「それは間違えやすいから気を付けてね」としか言われない女の子がいることを教わる。

職場には同年代の女の子がたくさんいた。
女子といえば30歳くらいの音楽の先生と売店のおばちゃんしか知らない男子校に中高合わせて6年間通っていた自分にとって、オレンジの制服に身を包んだ10代後半から20代前半の彼女たちは、直視できないほどまぶしかった。
直視できないから下を向いていた。
うつむいてはいるけど、意識は始終そっちに向かっている。
すでに彼女らと仲良くしゃべっている自分より年下の同僚がいるのに、自分はどうやって彼女らとコミュニケートしていいかがわからない。
なにしろこっちは与えられた仕事もちゃんとできないで怒られてばかりいるのだ。
職場のヒエラルキーの中で最底辺にいるという自覚が、外部に対して壁を作る。
グズグズになった小さなプライドを守るため、本当はものすごく彼女たちを意識しているのに、さも眼中にないような態度を取っていた。

そんなある日、休憩室で一人まかないのクラブハウスサンドを食べていると、社内用語でフロアーと呼ばれる、いわゆるウェイトレスのタナカさんが同じく休憩で入ってきた。
タナカさんは21だったか22歳のアルバイトだったが経歴が長いのか、フロアー部門のチーフのような仕事を任されていた。
それほど背は高くなく、むしろ低い方で、特に太ってはいないが際立ってやせてもいない体型で、卵型の輪郭に細い眼をしており、ピシパシした普段の仕事ぶりと相まって若干キツそうな印象を持っていた。

6人座れる休憩所のテーブルの端で黙々とクラブハウスサンドを食べている私の対角線上の席にタナカさんは座り、こちらをチラッと見てからは資料のようなものに目を落として黙ってコーヒーを飲んでいた。

すると突然「サンドイッチまずいの?」という声がした。
タナカさんの声だ。
顔をあげると、タナカさんがこっちを見ていた。
「…いや、まずくはないです」
「そう?なんかすごい怖い顔して食べてるから、よっぽどまずいのかと思った」
「そういうわけではないです」
「いっつもそういう顔して食べるの?」
「いや、違います」
「じゃあ普通に食べたら」

タナカさんはそう言うと煙草に火をつけた。
煙草吸うんだ、と思った。
煙草を吸う女の人を初めて見た。
タナカさんはそれ以上は自分に何かを話しかけることもなく、黙って煙草を右手にはさみながら資料を見続け、たまにコーヒーを口に運び、そのうち「お先」とだけ言って休憩室を出て行ってしまった。

私はずっと、女子の前では「引き締まった表情」を心掛けているつもりだった。
男というのはヘラヘラしているより、引き締まった顔をしている方がカッコいいものだと思っていた。
けれど、私が「引き締まった表情」と考えていたものは、単に「不機嫌な顔」にしか映っていないことを、その日私は教わった。
そっか、俺そんな怖い顔してるのか、と考えるのは失意だった。
そして自分がワケのわからないカッコのつけ方をしていたことを見透かされた気がして恥ずかしかった。

だが、翌日からバイトに行ってタナカさんに会うと「イノオくんは今日もクラブハウスでしょ?」って言われるようになった。
バイトに行くたびに言われた。
そのたびに私は「いや、別に毎回あればかり食べてるわけじゃないです」と馬鹿正直な答弁を繰り返していたが、あまり何回も言われるので他の人が「なんで伊野尾はクラブハウスサンドなの?」と聞かれたりするようになった。
それがこちらはとても嫌で、「この人なんで人前で言うんだろう」「やめてくれないかな」と思っていたが、タナカさんはなんか面白そうだった。
それをきっかけに私は誰かといるときに「引き締まった表情」を作るのをやめて、なるべく不機嫌に見えないように、不機嫌に見えないように、と心がけるようになった。
私がアルバイトの女の子たちと普通に話せるようになったのは、それからしばらくたってのことだ。

「マスタード・チョコレート」は人とかかわることが苦手で、いつも孤独感を抱える女子高校生・つぐみが周囲の人たちの関わり合いによって少しずつ変わっていく物語だ。
明確な意思をもってつぐみに関わる人、なんとなく流れでつぐみに関わる人、それほど数は多くないが少なくもない人たちに関わられ、関わっていく中で、つぐみは人生の喜びを少しずつ得ていく。

きっと誰でもそうだ。
誰でも、自分を変えてくれた人がいる。
ただそのきっかけは小さく、あまりにささいなことだから、人はみな忘れてしまう。

もしあのとき休憩室でタナカさんが話しかけてくれなかったら、今も私は下を向いたままだったかもしれない。
意識していないようで誰よりも意識しているねじれた自己顕示欲を持て余して、「話しかけるな」オーラを出し続け、他人とうまく関われなかったかもしれない。

だから私はタナカさんに感謝してもしきれない。

タナカさんは私があまり怒られなくなってきた頃、ひっそりといなくなっていた。
異動だったのかもしれないし、退職だったのかもしれない。
気がついたらいなくなっていた。

 

「あのときのタナカさんの休憩室の一言があるから今の自分があります」と御礼をキチンと伝えられぬまま、タナカさんと会う機会はなくなってしまった。

もしかしたら今はもうこういう時代なんだから、どっかしら連絡先を調べて言う方法があるかもしれない。

そう言う人もいるかもしれない。

だが、それはできないのだ。

私は、18歳の私を救ってくれた人の名前が、はたしてタナカだったか、スズキだったか、はたして違う名前だったのか、今もって正確に思い出せないのだから。

 

○「マスタード・チョコレート」冬川智子(イースト・プレス)

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May 12, 2012

5月は君の嘘

前回、「今月の大きなイベントは5/22スカイツリー開業」なんてどこの経済新聞だみたいなことを書いてしまいましたがよく考えたらその前日5/21には金冠日蝕というこれまた100年レベルの一大イベントがありました。
書店には2月ぐらいから日食メガネ付きのムックや書籍がわらわら送られてきて「はえーよ!多いよ!」とか思ってたら4月に入ったあたりからわらわら売れ始め、すっかり在庫が少なくなってしまいました。
日食メガネは週明けに最後の分が入ります。
肉眼で見るのはホント危険らしいんで、気をつけましょう。
http://www.kinkan2012.jp/observation-j.shtml

ちなみに3年ほど前の本屋大賞受賞作「天地明察」は今月文庫化されるんですが、それは算学者・渋川春海が日食の起こる日を予報するという話なのでわざわざ日食の直前の5/18に発売されるということなんですが…多少はそのへんのことが認知されるでしょうか。

いま見たら秋の映画化にむけて結構なキャンペーンやってるんですね。
http://www.tenchi-meisatsu.jp/campaign/vol01/index.html

なんとなくですが、結構な商品のわりにこのクイズそんなに応募総数が集まってないような気がするので案外いいものが当たるかも…ってこのクイズ4つ当てるの難しくないか。
なかなかこの4つの場所で金冠日蝕か部分日食か予想するの難しいぞ。

Photo   Photo_3

★スタッフKは「タイトル見てドキッとしました」と言ってましたが

○「遅刻をメールで伝えるバカ 「しゃべりのプロ」が教えるコミュニケーションプアから抜け出す秘術」梶原しげる(廣済堂出版)

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伊野尾書店は基本的に遅刻の連絡は店長の携帯にメール連絡すればそれでOKです。
いや、電話でもいいんですけれど、てかもともとは「電話で報告するように」だったんですけど、忙しい時に電話かかってきたりしてやっと出てそんな内容だと「なんだよ」ってなるし、かける方も電車乗ってたりすると結構負担だし。
そもそも双方の話し合いや詰め合いが必要な要件ならメールじゃなくて電話で連絡してもらいたいですが、通達事項的な一方通行で済む要件ならメールでいいや、と。

まあ実はこのタイトルは2ちゃんねる語で言う「釣り」であって、あくまで書かれてる内容は「どうしたら互いが気持のよいコミュニケーションをとれるか」っていう実務的な方法論なんですけれど。
コミュニケーションは互いが同じだと思っているのに実は結構ずれてたりする価値観の溝を埋めて行く作業だなあとつくづく思い知らされます。

★勢いにのってビジネス本をもう一丁

○「図解まるわかりビジネス力をグンと上げる整理術の基本」(新星出版社)

Photo_8

こんまりさんの「人生がときめく片づけの魔法」(サンマーク出版)が大ベストセラーになってそういう本が一時期乱発して出てましたが、そんな様相の最中にひっそりと出ていた本。
あまり色気のないシンプルな装丁ですが、読んでるとこれはいいな、と。
自分でこの手の本はほとんど買わないんですが、この本は役に立ちました。

なにしろ整理と名がつくものは「モノの整理」「書類の整理」から「時間の整理」「思考の整理」まで、実に多岐にわたって図解されてます。

たとえば

「整理の基本は
 1 使ったら戻す
 2 雑多なものを分ける
 3 いらないものを捨てる」(第一章「整理上手になる」)

の具体的なやり方から始まって、

「仕事の山は
 1 今やらなければならない仕事 →緊急/緊急でないかを分ける
 2 後回しにしてもいい仕事 →締め切りを確認する
 3 他人に任せられる仕事 →締め切りを伝えて割り振り、随時進行状況をチェックする」(第四章「時間の整理術」)

といった仕事のやり方まで。

特にこの第四章「時間の整理術」はすごく「あー…」となりました。

「仕事をしていると突然発生する『すきま時間』(=予定のキャンセルや変更で生まれた時間、移動時間など)にやれること、やっておきたいを日ごろから決めておく」

というのがあって、

・書類整理
・メール返信
・いずれはやらねばならない調べ物

などが例として挙げられてます。
この辺なんかはなるほどなあーと思いました。いや、単純にこういう本読みつけないんで、ビジネス書では割合基本的なことなのかもしれませんが。

★今月の雑誌

○dancyu(ダンチュウ) 6月号
 「人生最後の一食。1000円で何を食べるか?」

Dancyu

昔、「ニュースステーション」の中で久米宏がいろんな著名人に「人生最後の食事に何を食べたいか?」という連続インタビューをやってましたけど、こっちは1000円なんだ。
まあ要は「至高の1000円グルメ」特集なわけで、角田光代さんが紹介している荻窪だかの定食屋がいいなあと思いました。

最後。
最後ねえ。
自分で作ったカレーがいいかな。
もしくは落合駅そばの「天鳳」のラーメン。最後だから全部のせで。
まあ、きっと何食べても「あれがよかったかな~」って悩むんだろうから何でもいいっちゃいいんでしょうが。

(H)

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