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August 2007

August 28, 2007

エンタメ・ノンフ

先週一週間ぶっ通しで見た「ハゲタカ」があまりに面白く、いまだに鷲津気分で仕事をしております。

「誰かが言った。書店員の悲劇は2つしかない。1つは本の来ない悲劇。そしてもう1つは本が来る悲劇。書店は本だ。本が悲劇を生む…」

あ、いいですかそんな戯言は。
つーか鷲津になるには毎日スーツを着なくてはダメですね。


夏ももう終わりなので、「伊野尾書店夏の100冊未満フェア」も撤収です。
一番売れたのは意外にも「十八の夏」で、次がみうらじゅん「色即ぜねれいしょん」、逆に一冊も売れなかったのが…やめときましょう。

代わって、「本の雑誌」9月号http://www.webdokusho.com/honshi/index.htmlで特集していた、「エンタメ・ノンフィクション」フェアを行っております。

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この「エンタメ・ノンフィクション」というのは今一つ定義がハッキリしていないようだったので、勝手に拡大解釈して「笑えるノンフィクション」というテーマで集めております。
宮田珠己、高橋秀実、北尾トロ、みうらじゅんといった面々が並んでいる一方で、書籍化されたブログ本もあります。
考えてみれば笑えるノンフィクションというと昔は“突撃系エッセイ”みたいのがいろいろありましたが、今じゃだいたいブログなんですね。
もちろん文章の上手い下手というのはありますが、時代の流れを感じます。


このフェアの中でひときわ私が好きな本が、高橋秀実(ひでみね)「センチメンタルダイエット」。

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「やせれば美人」。妻の口癖である。妻は、この10年で30キロも増量した。「闘う」にはあまりにも重すぎた。しかも、ここまでデブになったのは夫、つまり私のせいだと言うのである。そんなある日、妻は心臓がバクバクし、パニック障害を起こす。救急車で病院に担ぎ込まれるが、「目立った異常はなし」。だけど、「あんまり食べすぎないように」と言われる。医者の「デブハラ」を受けたりして、妻はやせることを決意する。

 しかし、運動は嫌い、汗をかくのは美しくない、何もしないでやせたいと妻は言う。「朝、目覚めたらヤセていた、というのがいい」。私は困りはてる。しぶしぶ私は、ダイエットの歴史をひもとき、実際のダイエット成功者の話に耳を傾ける「長い旅」に動き出す。妻とその脂肪とともに……。
   
 ちまたにあふれるダイエットのすばらしさ、いかがわしさ、ダイエットに励む人々の充実感、虚無感、せつなさ、むなしさ、おかしさ……。これまで、だれもが目にしてるつもりで、じつは見えていなかった「ダイエットとその周辺」を、脱力感あふれる筆致で描き出したノンフィクション(涙あり、笑いあり、夫婦愛あり)。読むだけで、意味もなく脂肪がせつなくなります。


たいがいのダイエット本は「自分はいかにして痩せたか」という実践例を写真付きで延々紹介していくものですが、この本は著者の高橋秀実が医者に「もう少しやせた方がいい」と遠回しに言われた奥さんを話の中心にして、そもそもダイエットって何のためにやるの?どうやってやるのがいいの?なんで次々新しいダイエット法が出てくるの?といった、考えてみれば誰もが一度は思いながらナアナアにしていたことを、あまり緊張感のないレポートで「へぇーそーなんだー」と伝えます。
やれメタボリックだモムチャンダイエットだ腰回し体操だといろいろ脅かすものばっかり出回っている昨今ですが、その前にぜひ読んでもらいたい本です。

「デブ、と聞くとだらしない姿を想像するが、彼女の体型は横綱、朝青龍を思わせる底力を感じさせ、むしろ凛々しかった。」(「Diet6」より)

という褒めてるんだか馬鹿にしてるんだか、な文面に奥さんへの微妙な愛情が感じられて心温まります。


そういえばこないだ世界征服のマニュアルを書いていたオタキング岡田斗司夫氏もダイエットの本出しましたね。

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となると、次は若干ぽよんぽよんな女性お笑いタレントあたりが出すんでしょうか。

(H)

August 24, 2007

野球はドラマだ、人生だ

毎年毎年飽きもせず高校野球を見てますが、今年ほどドラマ性を感じた大会はそうなかったと思います。

決勝戦の日は本の仕入れに行ってたのですが、途中クルマのラジオで聞いていたときは8回で4-0で広陵リードと聞いて、ああやっぱり広陵か、強かったもんな、駒大苫小牧に勝ったぐらいだし…とか思ってそのまま仕入れをしていて、30分ぐらいたってクルマに戻ったら佐賀北の校歌が流れているのだから、耳を疑いました。

決勝戦の8回まで1安打のチームが逆転満塁ホームラン…佐賀北高校の皆さんには申し訳ありませんが、正直、「これはマンガだ」と思わざるをえませんでした。
昨年は県予選1回戦負けの公立校チームが県大会優勝、最もプレッシャーがかかるといわれる開会式直後の試合で甲子園初勝利、延長15回引き分け再試合、なぜ負けなかったのか見ていて不思議だったくらいの帝京戦、そして決勝戦。
裏であさのあつこかひぐちアサがシナリオを描いてるんじゃないか、というぐらい見事なドラマでした。
(しかし決勝での広陵の“敵役”な扱いは気の毒でした)


私の世代だと甲子園で絶対に忘れられないのが92年の「松井5敬遠」ですが、先日新潮社からあの敬遠事件に関するノンフィクションが出ました。

○「甲子園が割れた日 松井秀喜5連続敬遠の真実」中村計
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この本の中に出てくる、松井の全打席敬遠を指示した明徳義塾の馬淵監督の言葉が心に残りました。

「高校生は計算できない」

プロ顔負けの技術を持っているほどの高校生が、大事な試合で力を発揮できない。
それはひとえに極度の緊張による委縮であり、精神の未熟さによるもの―だから猛練習を積んで、「自分たちはこれだけ練習してきたんだ、負けるはずがない」そう錯覚させる、信じ込ませる。
大きな勝負で彼らの心の拠り所にするものは猛練習から生まれる自信しかない―。
馬淵監督の話はそうつながっていきましたが、「計算できない」という言葉の裏には、「なぜあの程度の選手が打ててしまうんだろう」「なぜ抑えられるのだろう」といった、いわばプラスの誤算という面も含めての言葉であったように見受けられました。

想像の話になってしまいますが、「知らない」ということは弱さでもあると同時に強さでもあるんだろうなと、そんなことを思いました。


「甲子園が割れた日」は大変面白い内容ですが、そんなに驚くような真相は出てきません。
まあそうだよな、という話の連続で、むしろ当時のマスヒステリーの状態の方がよっぽど驚く事象に思えました。
結局、青春は一度しかない、という当たり前のことをもっとも間近に感じさせるイベントが高校野球であり、高校の部活動の一環でしかないこの大会がつくづく日本文化の一つを担っているのだなあ、と実感しました。

それにしても朝日新聞の「高校野球データベース」はすごいですね。
自分の母校が今年何回戦で負けたかすぐ検索できます…。
http://www2.asahi.com/koshien/hs/

(H)

August 20, 2007

心配ない問題ないないないザッツイッツオーライ


「白い恋人」がネットで4倍の値で売れてるそうです。

http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20070819-OHT1T00116.htm

わけがわかりません。

というか、お菓子の賞味期限切れって、そんなにトップニュースで扱うほど問題なのかなと。
ミートホープのときも思いましたが。
牛肉の中に豚肉が入っていました、と深刻そうに伝えるキャスターを見て「じゃあ合挽で売ればよかったんだね」としか思わなかったものですが、どうやら世間一般では大変深刻かつ重大な局面だったようです。

出版社は書店で売れ残った本を引き揚げたあと外のカバーやページの上下の部分をキレイに作り直して(改装)再出荷することがあるのですが、そのうち
「大手出版社○○社 なんと書店の売れ残り本を回収・再出荷し新品同様に偽装!」
とか言いだすニュースが出なければいいですが。
あー怖い怖い。

ちなみにこないだ冷蔵庫から出して使っていたチューブ式の練りワサビを「これなかなか減らないよなー」とフッと見たら賞味期限が2003年の2月でした。
今日も私は元気です。


何か本の話を書こうと思いましたが、今日はこれから帰ってNHKドラマ「ハゲタカ」の再放送を見たいのでまたにします。
「ハゲタカ」、面白いです。
本放送のときに見りゃよかった。

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(H)

August 10, 2007

連休に読むには重すぎるかもしれませんが


8/12(日)、13(月)の両日はお休みとさせていただきます。

よろしくお願い致します。


単行本で読んでえらい衝撃を受けた「ネグレクト 育児放棄 ~真奈ちゃんはなぜ死んだか」が文庫になりました。

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児童虐待とか育児放棄というのはニュースでは
「なんでそんな酷い、非人間的なことができるのか=人間らしい私たちには関係のない、どこかのひどい親のすること」
というニュアンスで報道されますが、当然虐待なり育児放棄した親にしてもその辺にいる人間であり、そこに至るまでの原因と過程があります。

「二人でずっといよう、二人の赤ちゃんを作ろう、そして幸せな家庭を築こう」という、ひと昔前の少女コミックのエンディングみたいな状態にいた一組のカップルがなぜ2年か3年でここまで陰惨な状態になってしまったのか。

わたしはこの本を読むまで児童虐待と育児放棄というのはあくまで個人の延長線上にある家庭の問題、という感覚をもっていましたがそうとばかりも言いきれない、という認識を持ちました。

格差社会、ビジネス的価値観の横行、すぐに結果が出ないと不安になる思考、恋愛至上主義、家族主義から個人主義への移行、地域コミュニティの不全、すべての責任を行政におしつけようとする市民主義、メディアの変革による情報の氾濫、情報におどらされる私たち。

およそ現代社会が抱えるすべての要素が結集した結果、末端で起きている事象であることがよくわかります。

そして最大の問題は、この悲劇の原因が「いい子に育てよう」という親の思いからきている、ということです。
本当に考えさせられる事件と、その構造です。

(H)

August 07, 2007

1992年

高校2年のクラス替えで、たまたま私の前の席になったサイトウは野球部だった。
サイトウはあまり背が高くなく、体は細く、メガネをかけていて、他の野球部員が一様に持ち合わせていた「俺は体育会系だぜ」という雰囲気が薄く、もし「野球部でマネージャーやってます」と彼が自己紹介したなら疑う者はいなかっただろう。
そういうタイプだった。

だが、彼はマネージャーではなかった。
外野の控えの、そのまた控えだった。
放課後のグラウンド、彼を見るのは常にボールを運んでいたり、外野のはるか後方にいて飛んできたボールを拾っている姿ばかりだった。

サイトウと私はとても気があった。
休み時間も授業中も、くだらない話をいつまでもした。
けれど決して二人で放課後遊びに行くことはなかった。
なぜなら彼は野球部で、野球部は毎日練習があったからだ。
たとえレギュラーでなくとも、たとえ控えの控えでも、彼は私の悪い誘いを断って毎日練習に出た。
夏休みも、冬休みも、正月と体調を崩した時以外、彼は毎日野球部の練習に出た。
しかし野球部は100人近い大所帯だ。
3年生の夏、あれだけ努力したサイトウにレギュラーポジションはおろか、背番号の入ったユニフォームは与えられることはなかった。

流した汗は嘘をつかない。
努力は必ず実を結ぶ。

そんな言葉が何の信憑性もないことを、グラウンドの隅で打球を拾う友を見て思った。


甲子園予選が始まった。

我々の学校の野球部は強くはないが、それほど弱いわけでもない。
過去にプロ野球選手を輩出したこともある名門校のはずだが、だいたい毎年3回戦ぐらい、運がいいと5回戦くらいまでいって負けるのがパターンだった。

ところがその年、我々の学校は一回戦で格下と見ていた学校に完敗した。
八王子の駅から離れた小さな球場の観客席で、私は呆然とした。
「まっさかあんな学校に負けるかよ…。」
そう愚痴りながら球場をあとにしようとしたとき、そうだサイトウはどうしただろう、と思った。
この球場のどこかにいるはずだが、この状況じゃ会いたくない。
いいや、球場の裏から回って出よう、そう足を進めた時。

球場の裏手の柱にもたれて一人泣いているサイトウと出くわした。

向こうもこっちに気づいた。


言葉が出ない。


なんて声をかければいいのか、言葉が出ない。


「おまえはがんばったよ」
「しょうがないよ」
「元気出せよ」
「よかったじゃん、これで海に行けるぜ」

そんな言葉の候補がいくつもいくつも、頭の隅に浮かんでは圧倒的な否定の力で抑えつけられる。
何を言ったって、あいつからすればうるさいだけだ。
おまえに何がわかる、って殴られるかもしれない。
彼の努力は、彼しか知らない。

それでも何か、声をかけたい。
友達が、おそらく一生のうちで一番失意に落ちているこの時に、声をかけてやりたい。なんとか救ってやりたい。

けれど、言葉が出ない。

こういうとき、人はなんて声をかければいいんだろう。
本を読んでたりすれば、人生経験が豊富だったらきっと何かいいことが言えただろうに。
どうして今まそういうことを勉強しなかったのだろう。

何か言わなきゃ。何か言わなきゃ。

そう思っているうちに、サイトウは黙ってその場を去った。

考えてみれば、高校生になってから友達が泣いているのを見るのはそれが初めてだった。
そして他人の涙を見るのはこんなにも辛かったのだというのを初めて知った。


家に帰り、呆然としたまま横になり、しばらくすると本が読みたいと思った。
本の世界に没頭したかった。


書店の棚を端から端まで見る。
ある棚で「魔球」という字が目に入った。
手にとってみる。
高校野球を題材にしたミステリーだった。
書いた人は知らなかった。

夜中までずっと、その本を読んでいた。
ホロ苦い話だった。
ミステリーっていうのは、「まさか彼が犯人とは!そんなトリックが!」っていうものばかりだと思っていた。
こんな複雑な後味が残るミステリーというのが存在することを、まったく知らなかった。
それが東野圭吾との最初の出会いだ。


その後サイトウとは彼が野球部を引退してから何回か遊んだ。
けれど遊んでいてもどこかになんとなく、消化不良感があった。
それがなんだったのかはよくわからない。
ただ、これがあの夏の前だったら、きっと二人とも何も考えずはしゃいでいられたのに、と思うことがよくあった。

やがて大学進学の季節となり、試験だ何だとやっているうちに、卒業のシーズンになってしまった。
大学に進んでからは連絡をとりあう機会もガクッと減った。
所詮、その程度の仲だったのだろうか。
きっとその程度の仲だったのだろう。


あとになって知ったが、東野圭吾は高校生の時に小峰元の「アルキメデスは手を汚さない」というミステリーと出会ったことがきっかけで、本を読むようになり作家を目指すきっかけとなったという。

私はどうだろう。

あの夏に東野圭吾と出会って、何か変わったのだろうか。

まるでわからない。


あれから15年たった今も、東野圭吾の「魔球」は本屋で売られている。

あれから15年たった今も、あのときサイトウになんて声をかければよかったのか、まだ答えが出ない。

甲子園がもうすぐ始まる。

あの時の私がそうだったように、二度と戻らない夏に涙する球児たちにかける言葉がみつからない、そんな無力な思いを抱える若者が今もあちこちにきっといる。

Photo


(H)

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