April 08, 2019

3つの衝撃があった本 ~「セイバーメトリクスの落とし穴」お股ニキ

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○「セイバーメトリクスの落とし穴」お股ニキ(@omatacom)  (光文社新書)

この本は面白かった。
が、「面白かった」以上にいろんな部分で衝撃的だった…!

それは以下の3点です。


①素人(一般人)がプロ野球(およびMLB)についてここまで調査・研究・考察できてしまうこと

この本はお股ニキさん(Twitterネーム。なぜこの名前なのか説明はない。以下お股さん)が日米プロ野球の現在のトレンド、課題点を広い範囲にわたって研究、考察した本です。
お股さんは中学の途中まで野球をやってたものの、アマチュアとしての経歴は無し。単なる一ファン。
しかし長年野球見て蓄えた知識、独自に調べ上げた研究はすさまじく、お股さんのTwitterを見たダルビッシュ有が「興味深いことを書いている」と直接やり取りをするようにまでなる。

ここで大事なのは

・プロ選手から見て「気になること」を書ける一般人が存在する
・素性のわからないネット民でも有用だと思えば分け隔てなく意見を受け入れるダルビッシュの頭の柔らかさ

という二点で。

一時期、調子が上がらないダルビッシュにお股さんは

「ツーシームが縦回転してるから変化が少ない。横回転するように投げられればもっと曲がる」

とメッセージを送り、ダルビッシュはそれをきっかけに再び活躍するようになった、という逸話が本書に出てくる。
回転の向きって…!
そんなのテレビ中継でわかるものなの…?

このようにお股さんは一事が万事、「何のソフトを使ってるんだろう」と思わせる細かな分析に、「よく調べてるなあ…」と感心する現代野球メソッドに通じている。

たとえば変化球。
自分なんかはいまだに「ストレート」「スライダー」「カーブ」「フォーク」といった「実況!パワフルプロ野球」で使われていた変化球くらいしか頭にない。
が、現在ではそのあたりの球種からさらに派生した新しい変化球がどんどんできている。
「カットボール」はまだなんとなくわかる。
が、カットボールをスライダー回転させて投げる「スラッタ―」なんていう球種が出て来ており、それが今のMLBでは主流になってるという。
スラッターがいかに現代の魔球か解説したあと、さらにはその弱点についてまで言及する。
「2019年の野球の最前線」がどういう風になっているのか、非常に勉強になる。


さらに野球を見る上で多くの人が好きな采配論・戦略論についても明確な提示をしている。

「ノーアウト一塁でバントするより打った方が得点力は高い」という理論は今や明確にデータで証明されている。

最近普及してきた「2番につなぎの打者ではなく、強打者を置く作戦」は「強打者になるべく多く打席を回した方が点は入る」という当たり前の理論で、5番あたりに置くのと2番に置くのでは年間レベルで見たら打席数が相当変わってくる、というメソッドである。
こういった「かつてのプロ野球では当たり前とされていた理論とは別の作戦」の有用性がしばしば語られる。

それを読んでるだけでも「今は全然違うんだな…!」とショックを受ける。

 

②プロ野球の「効率化」が恐ろしいスピードで進んでいる現状

これだけデータ分析ができるようになると「それまでの常識」が覆されていく一方で、別の問題が出てくる。

それは「みんなが同じようなことをやるようになる」という問題である。


MLBでは「ゴロで転がすより、フライを打っていった方が得点力は上がる」という理論が一大ムーブメントになった。(「フライボール革命」)
そうすると下位打線であろうとみんながホームランを狙うようになり、打つ人もいるが三振が急増する。
人によっては「大味」と評する野球をどのチームもやるようになった。

先発ピッチャーに高いパフォーマンスの投球をしてもらうには100球を目途に交代してもらう。
能力の高いピッチャーは試合の展開を左右するセットアッパーに配置する。
クローザーはセットアッパーを何年か務めて、投球能力が落ちてきたものの経験は多く経た人間が務める。

理論で言うと間違ってはいない。
が、もはやMLBではかつての日本野球のように「エースが一人で160球熱投!」みたいな戦い方は出てこない。もしかしたら「クレイジー」くらい言われてしまう。

そうやっていくと野球が「間違ってはいないが、エンターテイメントとしてはどんどん味気ないもの」になっていく。

勝負論と観客論。エンターテインメントスポーツで常に出てくる問題が、フェイズを変えて今また野球界に出て来ている。


さらに①で書いたことと表裏一体だが、「数字が過信される」という傾向が出てくる。
いくらいろんなデータが収集できるようになったからといって、野球をやっているのは人間である。

グラウンドでプレーする者でなければわからないことは必ずある。
通常であればAの作戦だが、状況によっては今回に限ってはBの方がベターである、と現場のプレイヤーや首脳陣が判断するケースがあって当然のはずだ。

ところが「データ」「数字」を絶対視する人間は少なくないので、その人たちには「不合理」と烙印を押されてしまう。

お股さんはこれだけ精緻な分析をしていながら、その点を非常に懸念している。
松下幸之助の言葉を引き合いに出しながら
「現場で勝負をしているプレーヤーが感じた“勘”はデータよりも説得力があるもの」
と考えているのは興味深い。

この本には「理論はゼロヒャクで語られるものではない」という話がしばしば出てくる。
どうしても我々は「送りバントでの得点力は低い」と聞くと「送りバントは無意味」というように飛躍させて考えがちだ。

実際は「得点力は低いが、送りバントが有効な場面も出てくる」と判断するべきなのだろう。

イチローが引退会見で「最近のMLBの風潮として、頭を使わずにプレーするようになった」というニュアンスの話をしていたが、ようは

・データ偏重で現場のプレイヤーの判断が置き去りされている
・「三振かホームランか」の野球が進んでしまっている

という話をしたかったのではないだろうか。

 

③これだけの知識と見識を持つ人が「本というメディアに全然興味を持っていない」こと

お股さんは野球を見ることと語ることは好きだがそれを発信することで何かを得ようとか、有名になりたいといった欲はそれほどなかったように見受けられる。
当初本を出すことにも興味がなかったという。
(結果的にそこから口説いた編集者さんグッジョブと心から思う)

もちろんこれまでの時代でも「人々に有用な見識を持ちながらそれを広めることに興味がない人」というのはいたと思うが、現代は「SNSなどで発信して小さなコミュニティがあればそれで満足」という世界が「執筆者側(発信者)」にも「読者側(フォロワー)」にも広がっている。
本当は「本というメディアは、そういった有用な見識が詰まってるんですよ」と広くアプローチしてほしいのだが、残念ながら多くの人々(特に若年層)にそれは伝わっていない。そこが個人的には非常に気になっている。


新書という本は「ある専門分野について安い金額で広い見識を広める」という目的で出ていると思うが、それに見事合致した本だと思った。

野球が好きであればぜひ読んでもらいたい一冊です。

(H)

April 01, 2019

人生でかならずどれかは捨てなければいけないとしたら ~「トリニティ」窪美澄

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○「トリニティ」窪美澄(新潮社)

私が中学生ぐらいの頃、「DINKs(ディンクス)」という言葉が世の中に出てきた。
「ダブルインカム・ノーキッズ」の略で、子どもがいない共働きの夫婦を指す。
時間的にも金銭的にも自由で、ゆとりある生活が送れる生き方だとして、当時は「最先端のカップルの形」に近い語られ方をしていたように思う。
当時はトレンディドラマ全盛期、カップルの「2人」でいることが小さな子を抱えた「お母ちゃんとその旦那」でいることよりも持て囃される風潮があった。

あれから30年経った現在、この言葉を聞く機会は少なくなった。
結婚するもしないも、子供を持つも持たないもその人次第。他人がとやかく言うことではない。
「結婚して、子供を作って育てる」ことが良しとされる、旧来型の家族観は依然としてある。
それでも昔に比べればだいぶマシにはなった。

こうなるに至るまでは、先の時代に生きた多くの人が疑問を持ったり、声をあげたりしてきたという経緯がある。
そのすべてが正しかったわけではないだろうけど、我々より年上の人たちが我慢したり「これは生きづらいからやめよう」と変えようとしたことが現在の価値観につながっていることはたくさんあるはずだ。
そのことを普段考えることはあまりない。


「トリニティ」は昭和から平成にかけてそれぞれの人生を生きた、3人の女性のそれぞれ半生記だ。
閉鎖的な農村で父なき子として生まれ、産みの母にも置いていかれ、村の女性に育てられた妙子。彼女は努力と才能、そして人に出あう運でイラストレーターへの道を切り開き、ある新雑誌の表紙のイラストを描くことになる。
裕福な家庭に育ち、やがて母と同じ物書きとしての人生を歩むライターの登紀子。
サラリーマン家庭に育ち、出版社の事務職から専業主婦の道を選ぶ鈴子。

3人は1960年代にある出版社で出会う。
仕事も、育ってきた環境も、考え方もみんな違う。
ただ、男尊女卑がまだ色濃く残る時代の中で懸命に生きぬく同年代の仲間として彼女らは結びつきを強くしていく。
しかし、それも3人の長い人生の中では一瞬の点でしかない。
3人ともにそれぞれの深く長い人生が待っている―。


読み終わったとき、私は戦後50年にわたって社会で戦ってきた女の人たちのことを思った。
もちろん、今の時代には今の時代の苦しさがある。
(物語の中で鈴子の孫娘である奈央が現代の苦しさを語る役柄として登場する)
ただ、「昔はよかった」と回顧されがちな時代の中で懸命に生きていた女性がいたことをこの小説は強く訴えてくる。
すべてを得られない。
かならず、何かを捨てなければいけなかった人たちがいたことを。

私は何か捨てているだろうか。すぐに答えられない。ただ、それでもやはり女の人よりは手の中に残しているような感覚はある。

それがある限り、この小説は「現代の物語」として読み継がれないといけない物語ではないかという気がする。

(H)

 

March 27, 2019

青春を更新し続ける街の記憶 ~「高田馬場アンダーグラウンド」

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○「高田馬場アンダーグラウンド」本橋信宏(駒草出版)


 


高田馬場で生きた人たちのエピソードをまとめたアラカルト。
著者が1975年に早稲田大学に入学し、70年代の高田馬場の情景を個人的な出来事と絡めて伝えることでノンフィクションと私小説とルポの中間のような味わいがある。
途中、著者の大学時代の恋愛話がずっと続くところは何を読まされてるんだろう…と思いつつも、時代の空気感がしみじみ伝わってきた。


 


 1970~80年代に高田馬場、早稲田界隈にいた著名人のエピソードがいろいろ挟み込まれる。
その中でも「神田川」の制作秘話がとてもよかった。
1966年の春、早稲田大学に入学した一人の男子学生。
ビートルズが初来日し、大学が学生運動に激しく揺れていた年。
社会の矛盾や不正をただすために機動隊とぶつかりながら、教室で出会った一人の下級生と恋に落ちる。
「時代」と「個人」に挟まれてほのかに散った個人の小さな失意の話が、めぐりめぐって国民誰もが知る名曲に昇華していく軌跡が当時の情景とあわせて美しく語られる。


 



 そして「街を書く」というのは思った以上に難しいなとも感じた。
100人いれば100人の「その人にとってのその街」の姿がある。
それは近接してはいれど、決して重ならない。
本橋さんにとっての高田馬場はこういう形の街で、それは自分にとっての高田馬場とは当然少し違っている。その差異を確かめながら読むような読書感覚だった。


 


 1980年代、ビックボックスの一階には噴水広場があり、その脇でソフトクリームや飲み物など軽食を販売する店があった。
小学生の時に父親に連れていってもらった記憶がある。
あの時の噴水広場にいた大学生くらいのお兄さんの中に本橋さんもいたのかもしれない。


 


中井で生まれ育った私にとって高田馬場はもっとも身近な繁華街であり、もっとも思い出が詰まった街でもある。


 


「日能研」という中学受験予備校に通っていた12歳。
たまに日曜日に行われていた模試の時だけ、塾の友達とマクドナルドに行ったのが楽しかった。


 


 かつてビックボックスの入口にはテレビモニターが備え付けられていた。
16歳の時、そのモニターで千代の富士と貴乃花の一番を見た。
 普段その前でテレビを見てるのは待ち合わせで暇を持て余した人だけだったのに
(ケータイやスマホが普及する前、人々が待ち合わせ場所で時間をつぶす方法は本か雑誌を読むくらいだった)、
その時は大勢の人が画面の相撲を見つめていた。
 紫色のまわしをつけた貴乃花が千代の富士を押し出した瞬間、群衆からワッ!と声が上がり、「うわー勝っちゃったよ!」みたいな声があちこちから聞こえた。 
 相撲界の歴史が変わったあの取組を、私は父親とビックボックスのモニターで見ていた。あの日どうして父親と高田馬場にいたのか、そっちはまったく思い出せない。


 


 年がら年中ゲーセンと卓球に行っていた高校時代。
 初めて女の子とデートした18歳。
 友達やバイト先の同僚と居酒屋に行くようになった大学生時代。
 いきなり家にかかってきた電話で英会話教室の説明に誘い出されて行ったこともあった。 


 


 いつも待ち合わせは高田馬場だった。
西武新宿線改札を出て東西線出入口に向かうところにあった「甘栗太郎」の前。


 


 高田馬場の駅前にはいつの時代も青春のかけらを集めて燃やしつづける若者であふれている。
かつてそこに加わっていた自分も、今は遠くから彼らをぼんやりと眺めている。
 浜田省吾の「想い出のファイヤーストーム」を思い出す。
ロータリー、ビックボックス、「麦畑」がBGMの横断歩道。
 青春は変わらずここにある。


 


(H)

March 06, 2019

あの頃、同じ虹を見ていた仲間たちに ~「夜の虹を架ける」市瀬英俊

○「夜の虹を架ける 四天王プロレス『リングに捧げた過剰な純真』」市瀬英俊(双葉社)

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「山の頂の向こう側へ。愚直なまでに前へ前へと突き進む男たち。
 すべては、観客の心を揺り動かされるために―」(本書より)

自分が子供だった1980年代、テレビで見るプロレスは「怪物たちのケンカ」に見えた。
スタン・ハンセン、ブルーザー・ブロディ、ザ・ファンクス。ジャイアント馬場にジャンボ鶴田。
名前もすごいし、体も大きい。
テレビ画面に写るプロレスラーたちは人間なんだろうけど普通の人間じゃない、マンガやアニメに出てくるキャラクターのように見えていた。

そこから時代が少しずつ変わってって、プロレスラーは少しずつ「怪物」から「人間」に近づいていく。
90年代半ばの全日本プロレスの中心にいたのは三沢光晴、川田利明、田上明、小橋健太。
名前も、見た目もだいぶ「人間」になっていた。
だが彼らが「人間」でなかったのは、常人では考えられないような、極限まで命を削り合うようなハードな試合をリングで見せていたことだった

だいたい2カ月に1度開催される全日本プロレスの日本武道館大会。
その二階席からリングを見下ろしながら私はいつも興奮とともに「うおお!」とか「すげえ!」といった声にならない声を出し、同時に「この勝負はどうなるのだろう…」「どこまでいくのだろう…」という底の知れない不安、二つの気持ちに挟まれていた。
そして激闘の末に勝負が決すると「川田、負けたか」「三沢、強いな」という勝敗への感情と、「やっと終わった…」と解放されるような気持ちの両方があった。

大会が終わって武道館の外に出るとそこでやっと深呼吸ができる。
九段下駅までの道は武道館から吐き出された大勢の人で埋め尽くされている。
その道を人の流れに沿ってずるずると歩きながら

「三沢、すごかったな」
「すごかった」
「タイガードライバー’91はやばいだろう」
「あれはやばい」
「やばいよな…」

といった、会話にならない会話を同行の友人としながら駅に向かう。

それが自分にとっての90年代の全日本プロレスだった。

マイクで言葉をアピール選手はいない。
入場で演出をされることもない。
リング上の選手を襲って因縁が始まったり、ましてはバックステージで起きた出来事が原因で次の試合を組まれたりすることもない。
特別な試合形式もない。

あったのは必要最低限まで装飾をそぎ落とした生身のレスラーたちによる、極限まで身体を張った戦い。
それに私たちは酔った。
またあれが見たい。もっとああいう試合を見たい。
そうして酔い続けた。

結果、選手は。ファンは。プロレスは―。

 

今は2019年。
プロレスは今も続いている。
けど、あの時から「プロレス」は間違いなく変わった。

酔いが醒めた今、振り返る。
あの頃の全日本プロレスとは、何だったのか。なぜあんな試合になったのか。
当事者たちの今言える証言。
そして明かされる事実。

それまでやっていたことが「もう時代のニーズに即していない」と判断されたとき。
それまでやっていた人が身体の不調を訴えて退いたとき。

あとを任された若い彼らはやらなければならなかった。
何を。
それまで誰もやっていない、誰も見たことがないようなプロレスを、自分たちで――。

「週プロの市瀬記者」が全日本プロレスの熱心な伝達者だったことは当時も知っていた。
しかし、「全日本プロレスの凄さを伝える」市瀬記者自身がジャイアント馬場とともに全日本プロレスの対戦カードを決めていたことは知らなかった。

やがて市瀬氏はその職務を解かれ、プロレス記者からもひっそりと離れた。
長年プロレスと距離を置いていた氏は「あるきっかけ」を元に、この長大な物語を書き始める。
そうして書きあげたこの作品は氏の集大成であると同時に、「絶対にこの物語を残す」という執念、情念も感じさせる。

「夜の虹を架ける」ここには人間の記録がある。
 

あのとき、武道館で同じ虹を見ていたすべての仲間たちに。

たくさんの虹を見せてくれた選手たちに。

締め切られた世界に架かっていた夜の虹を知ることなく、別の時間を過ごしていたたくさんの人たちに。

 
どうか届きますように。

 

「未来のことは誰もわからないし、三沢さんもそうなろうと思ってそうなったわけじゃないし。皆が一生懸命やってきた、その事実があるだけで」(小橋建太)

 

「日本武道館のメインの試合って、終わってマットに横たわってると、マットが照明の光で熱いんだよね。体もワーッと熱くなる。
 だいたい頭を打ってるから細かいことは覚えてないんだけど、その熱さで試合が終わったんだなあ、と」(田上明)

 

「このまま超世代軍でやってたら死ぬって思ったの。肉体的に、もう死ぬなって。異常だったですよね。異常に酔ってた。
 自分がどういう状況にいるかわからない。自分もそうだし、相手もそうだし、見ている周りもそう。
 みんな酔ってるから、その試合がどれだけ危ないかということをわかっていなかった」(菊地毅)

 

「パニック障害のことは恥ずかしくて誰にも言えなかったですね。(中略)当時はタイトルマッチ以外にも、上の人とのシングルマッチが多かった。そこに向かって『どうしたらいいんだろう』と考えると、交感神経が優位に立って、興奮して寝られなくなるんです」(秋山準)

 

「(川田は)4人の中で一番覚悟を持ってやってたよね。身体を張ってた。四天王の中では一番小さいから無理をしてたよね。努力家ですよ」(馳浩)

 

「プロレスとは、裸の詩(うた)、心の詩、漢の詩、涙の詩、魂の詩!」(若林健治)

February 08, 2019

「プロレス界No.1浅田次郎愛読レスラー・大石真翔の選ぶ『浅田次郎めっちゃいいんですよ!』の5冊」フェア

伊野尾書店では2/12(火)より

「プロレス界No.1浅田次郎愛読レスラー・大石真翔の選ぶ『浅田次郎めっちゃいいんですよ!』の5冊」

というフェアを開催します。

書店では最近、新しい作家さんを売り出していく機会が多いですが、もうすでに一定の評価を得た作家さんについても再評価する機会を作りたいと常々思っていました。
そこで浅田次郎作品の熱心な愛読者で知られる大石真翔選手にお願いしたところ快諾いただき、今回の運びとなりました。

推薦作品にはすべて大石さんのコメント入りオビが巻かれます。
また、「浅田次郎との出会い」「各作品について」大石選手のコメントが入ったフリーペーパーも配布します。

どんな本が選ばれてるかは、ぜひ店頭でお確かめください。
「大石真翔の選ぶ『浅田次郎めっちゃいいんですよ!』の5冊」は2/12(火)より3/11(月)までの開催予定です。

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«上下巻合わせて704ページの大作・吉田修一「国宝」を私はなぜ読もうと思ったのか