November 17, 2018

闘魂こめて

はじめて恋人と呼べるような人ができたのは、あと2日で二十歳の誕生日を迎えるという、19歳の夏だった。

彼女は同じアルバイト先にいた同い年の人で、あるとき仕事終わりにバイト仲間5~6人でお茶を飲みに行く機会があり、それで話すようになった。
年齢のわりに落ち着いていて、利発的。けど一度しゃべりだすと皮肉屋。
そんな印象だった。
細い、メンソールのタバコを吸っていた。
最初の頃は「気難しい人なのかな」と思っていたが、話すようになるとそうでもなかった。
むしろ意識して背伸びして、そういう風に見せているんじゃないかと感じる部分もあった。
「名探偵コナン」に灰原哀という、中身は大人の女性が幼児化させられたキャラクターが出てくるが、見てると当時の彼女と雰囲気が似てると感じる時がある。もちろん一瞬で事件の背後関係を見抜くことはなかったけど。

彼女は仕事について、同じ職場の同僚について、社会のいろんな事柄について、はっきりとものを言うタイプの人だった。
時には毒のある言葉も使われるので、最初のうちは「ビシビシ言うなあ」と思ったものの、共感できる部分も多かったので自分にとってはさほど嫌なものではなかった。
彼女の方にも、私の言葉や考えを好意的に受け入れてくれている実感があった。
初めは仲の良かった何人かで食事をしたり遊びに行ったりしてたけど、次第に彼女とだけ連絡を取るようになった。

19歳の私は「とにかく彼女と楽しいことがしたい」という欲求にあふれていた。
映画に行く。
水族館に行く。
ドライブに行く。
遊園地に行く。
長年、「いつか彼女ができたら一緒にこういうところに行きたい」と思っていたことを実行した。
どこに行くか考えることも楽しかったし、実際そういうところに二人で出かけられるのもうれしかった。
「リア充爆発しろ」という言葉が後年生まれるが、当時の私だったら「爆発してもいい」とか言うかもしれない。それぐらい浮かれていた。

ただ一つ、一緒に彼女が行ってくれない場所があった。
それが球場だった。
彼女は野球に興味がなかった。まったくなかった。
野球の話を始めると途端に表情が冷めていったし、「今度神宮いかない?」「西武球場いかない?」と提案しても「ああー、いい…」と気怠そうに答えるのが常だった。
私はだんだん彼女の前で野球の話をしなくなった。
そうすると勝手なもので、「男友達だったらいくらでも野球の話ができるのに…」と内心不満を覚えるようになった。

彼女との連絡はいつも私からだった。向こうから連絡が来たことは数えるほどしかない。
出かける際は「今度○○行こうと思うんだけど、行かない?」みたいな言い方を私がして、彼女が「いいよ」と答えて決まる形が定番だった。
私はずっと「こちらが楽しいプランを考えてあげなければ」と考えていたが、それは「自分がやりたいこと、自分が行きたいところに彼女を連れていく」という形であって、「彼女自身が行きたい場所を聞き、そこに二人でいく」ことを提案する感覚は薄かった。
彼女が好きだったリバー・フェニックスの映画を一緒に見た記憶はあるが、それは「こちらからそう提案すれば喜ぶだろう」みたいな、なかば善意の押しつけみたいな形であって、本当のところ彼女が私と何をしたいか、ということを確かめてはいなかった。

また、会話の中で「ああしたらいいんじゃない?」「こういう方がいいんじゃない?」みたいなことを私が言って、向こうが表情を曇らせたことが何度もあった。
結局のところ、当時の私は「彼女に寄りそう」のではなく、「自分の脳内にある“理想の彼女”像に彼女を寄せようと」したんだと思う。
振り返れば、ただ幼かった。

夏から秋に変わったあたりから、出かけるにせよ、会話するにせよ、少しずつ二人の波長がずれてきたような感覚が出てきた。
以前の「来週、○○いかない?」「いいよー」という楽し気なやりとりは減ってきていて、「来週、××いかない?」「ああ…うん…まあいいよ」みたいな形に変わってきていた。
この頃彼女は大学のサークル活動が忙しそうで、電話や会う時間が以前に比べて少なくなった。
そのことを私は不満に思い、「もう少しこちらとの時間を作ってくれてもいいんじゃないか」とよくイライラしていた。

秋も深まった10月下旬の土曜日、私は彼女をドライブに誘った。
彼女は昼過ぎまで大学でサークルの用事があるというので、私は彼女の通っていた大学の近くに車を止めて待っていた。
車の中でラジオをつけるとジャイアンツとライオンズが戦う日本シリーズの第一戦が始まっていた。
「あ、今日からだっけ」と思い、自分が日本プロ野球の一年で一番重要な行事日程を忘れていたことに気が付いた。
1994年。
日本シリーズが昼間に行われていた、最後の時代だ。

サークルを終えて合流した彼女を乗せて、どこかに行こうということになった。
その日自分がどこに向かおうとしていたのか、今となってはまったく思いだせない。
覚えているのは車中ちょっとしたことで口論になり、どこかのファミレスの駐車場に車を止めてずっと話し合いをしたことだ。

何かのきっかけでお互いが相手の発言を修正させようとし、それを否定し「あなただって」と押し付け合い、意見は平行線をたどり、車中に沈黙が流れる時間が長くなってきていた。
やがて無音に耐えきれなくなり、私はラジオをつけた。
実況アナウンサーの声が聞こえた。

「…ということで田辺の満塁ホームランも出まして、初戦は11-0でライオンズがジャイアンツに快勝しました。解説の××さん、ここまで大差になるとは」

彼女が手を伸ばしてラジオを消した。
無表情に見えたが、内心腹を立てていたかもしれない。

「どうせ黙ってるんだから聞かせろよ」というイライラした気持ちと、こんなときであっても「ライオンズそんなに大差で勝ったんだ…これは今年はライオンズが日本一かな?」と野球情報に引きずられる、両方の思いがあった。

たぶん、そういうところが、いろいろダメだったんだろう。
いや、そういうところ「も」かもしれない。

数日後、日本シリーズ第5戦が行われた夜。
珍しく向こうからかかってきた一本の電話で、はじめてできた恋人は「伊野尾さんとは、友達でいましょう」と言った。
当時の自分にとってそういうセリフは漫画やドラマの中で見聞きするものであり、「本当にそうやって言われるんだな…」と沈んだ。
人生で初めて味わう、胸がえぐられる気分だった。
電話を切ってしばらく部屋でボーっとしていた。
つけっぱなしのテレビが、ジャイアンツの緒方耕一が満塁ホームランを打った場面をリプレーしている。
あの場面の映像を見ると、今でもあの時の胸の痛みを思いだす。

1994年の日本シリーズはジャイアンツが4勝2敗で日本一になった。
自分は現在に至るまで日本シリーズはほぼ毎年全試合チェックしているが、この年のシリーズはこの二つの場面以外、ほとんど試合の記憶がない。
しばらくの間、彼女が乗らなくなった車の中でMr.Childrenの「over」を何回も聞いていたことだけ記憶に残っている。

彼女とはその後半年くらいバイト先で顔を合わせたが、当然そんな深い会話もせず、必要最小限の応対をしていた。
そして約半年後、彼女は「ディズニーランドでアルバイトをする」と言って辞めていった。
ただ共通の友人が多かったので飲み会やちょっとした遊びの機会に再会する機会があったりして、そういった時に私は「もしかしたら、まだやり直せるかもしれない」というグズグズした甘い願望を抱えたまま「友達」として彼女と接していた。

よかったのか悪かったのか、彼女とはその後も付かず離れずな関係が続いた。
たまに連絡をしたり、あるいは向こうから連絡が来たりして、会ったりする。
数時間、お互いの近況を話し合って別れる。

しばらく疎遠になる。
と思って何年かすると、また思いだしたように連絡をして会ったりする。

そんな関係もだんだん連絡の間があいて、気づけば数年間連絡をしていない状態になった。
最初に彼女と会ってから十年以上が経っていた。

その間、私は本屋の人間になり、別の人と結婚もして、家族もできていた。30代になっていた。

そんなタイミングで彼女から連絡がきた。

会社を辞めた。
パセドウ病という病気になり、治療しながら仕事を続けたかったが、だんだん会社にいづらくなってしまった。
体調も思わしくないし、しばらく休みます。

そんな内容だった。

この頃になると彼女のことを思いだす機会は少なかった。
もちろん嫌いじゃないし、大事な人ではあったけど、「過去の人」という枠組みに入っていた。

その「過去の人」がわざわざ伝えてきたことに、気がかりなものを感じた。

どうしよう、と思った。
けど「どうしよう」と思った時点で、「連絡しない」という選択肢はなかったんだろう。

1か月後、私は彼女に会いに行った。
家族には言わなかった。言えなかった。

指定された場所は彼女の実家がある街のファミレスだった。
久々に会った彼女は、顔がややこけていたが、そこまで具合が悪そうには見えなかった。
もちろん頑張って元気を装っていた、ということもあったかもしれない。
どこまでが我慢でどこからが本当に具合悪いのか、その判断はつかなかった。

6~7年ぶりに会った彼女はひとしきり病気のこと、仕事を辞める悔しさ、今後の見通しを話した末に、「そうだ、わたし伊野尾さんに言わなきゃいけないことがあったんだ」と切り出した。
ドキッ、としたのを悟られないように「何?」と聞く。
すると彼女は手元のスマホをいじりながら言った。

「わたし今ジャイアンツ応援しているの」

「え?」予想外の話だった。

ジャイアンツ?

「…野球、全然興味なかったよね?」俺とつきあってたころ、という言葉は呑み込んだ。

「そうー」
そしてスマホの画面をこちらに見せた。白とオレンジと黒で縁取りされたジャイアンツのユニフォーム。背番号9が写っていた。

「亀井?」

「そう、亀井さん超カッコいい。あとね、松本!松本の守備、カッコいいんだこれが」

「なんであなたがジャイアンツを」

「それがね、その病気のこととか、仕事のこととかで欝々してたときに、友達が東京ドーム行こうよと誘ってくれたの。
 で、球場行ってみたらすごい楽しかったの!
 私、野球ってぜんっぜん興味なかったんだけど、こんな世界があったんだ!って。
 スタンドで応援して、それでジャイアンツが勝つと最高に楽しくて!」

うん、知ってる。そういう喜びはよく知ってる。
と思ったけど口に出さなかった。

「じゃあ、病気してなかったら、その友達が気分転換に東京ドームに連れていってなかったら、ジャイアンツには出会わなかったわけだね」

「そー。だから、わからないよね」

「ちなみになんで亀井なの」

「いやね、チサトと行った二回目の試合で…あ、チサトってその連れていってくれた友達ね。その試合ジャイアンツが負けそうだったんだけど、亀井さんが最後にサヨナラホームラン打ったの!それが本当に劇的で、もう私泣いちゃって」

泣くんだ。泣くほどジャイアンツに思い入れができたんだ。
そもそもこの人、こんなことを言う人だっけ。

時間の経過が人を変えていく。
それとも変わったのは、他人を見る自分の視線だろうか。

「あれ?伊野尾さんって野球好きだったよね?どこだっけ?西武だっけ?」

「いや、千葉ロッテ」

「あー、ロッテの応援いいよね」

この人とこんな話をする機会が来るとは思わなかった。

この人に出会ったとき、ロッテの監督は誰だったろう、と考える。
ああ、八木沢壮六だ。
その頃は今のような“いい”応援ではなかった。
ロッテがマリンスタジアムに移った最初の年。
今の綺麗なスタジアムからは程遠い、ただ遠いだけの千葉の球場。

「マリンスタジアムもそのうち交流戦で行きたいんだよね」

10何年前に言ってほしかったね。そしたら。

「あ、私、来週またドーム行くんだ」

亀井、打つといいね。

あれから5年以上経った。
連絡は取っていない。
年賀状だけは毎年送られてくる。
ジャイアンツの話は書いておらず、「最近は池波正太郎を読んでいます」「アガサ・クリスティを読み返してます」といった、読書の話だけが一行くらい書いてある。
私たちはお互い40代になった。
彼女はSNSをやらない人だったし、やってたとしてもアカウントを知らないので現在どうしているかわからない。

今のプロ野球は自分の好きなチームの試合中継だけを見ることができる。
テレビは地上波放送、BS、CSが入る。ネット中継もある。
そうすると好きなチームの所属していない方のリーグの試合をあまり見なくなる。
かくして、私はジャイアンツの試合を年に数回しか見ない。

そんな自分が先月、久しぶりにジャイアンツの試合をしっかり見た。
スワローズとジャイアンツが争ったセリーグのクライマックスシリーズ1stステージ、第二戦。

私の家族は野球に興味がない。
休日の夜、全員揃っているリビングのテレビで野球を見ようとすると嫌がられる。

夕食が終わると、私は閉店している職場に行き、独り休憩室のテレビで野球を見ていた。
画面の向こうではジャイアンツ先発の菅野がノーヒットピッチングを続けている。

6回。
7回。
回を重ねても菅野はヒットを許さない。

8回。
スワローズ打線は菅野をまったく打てない。この回も3人で凡退。球場も、放送席もざわついている。

そして9回。
スワローズの打者2人が凡退し、最後のバッターの打球がセンターのグラブに収まる。
史上初、クライマックスシリーズでのノーヒットノーラン達成。

すげえなあ菅野!

誰もいない部屋で興奮しながら大きな独り言を言う。

SNSに書こう…とスマホを持った瞬間。

彼女は見ただろうか。

頭をよぎる、一瞬の考え。
一回スマホを置く。

それは見るだろう。CSだ。見ないわけがない。彼女がまだジャイアンツを好きでいるならば。

ふたたびスマホを持つ。

もう何年も会ってない人に「菅野すごいね!」という短い一文を送るべきか、送らない方がいいのか、考える。

指が止まる。なんでもない時はやたら速く動く指が、今は進まない。

送ってどうだというんだろう。
俺は何がしたいんだろう。

テレビの向こうでは菅野がヒーローインタビューに答えている。
「高橋監督と一日でも長く野球がしたいです」とファンを泣かせることを言っている。

菅野は現在を見ている。この先の未来も見ているだろう。

どうして俺は、過去を見ているんだろう。

スマホを置いた。

 

パセドウ病、どうなっただろうか。
良くなっただろうか。
あれから何も聞けていない。

けど、彼女にはジャイアンツがある。
連絡していないけど、なんとなく今も見ているような気がしている。

 

ジャイアンツ、がんばれ。

生まれてこの方、一度も応援をしていないチームに初めて祈りをこめる。

ジャイアンツ、がんばれ。

俺はロッテファンだから、いまこんなこと書いててもシーズンが始まってしまえばこんな気持ちはなくなってしまうかもしれない。
だから今のうちにせいいっぱい願っておく。

あの人が見ているうちに。
「ジャイアンツを好きでよかった、見続けてよかった」という瞬間を、どうかあの人に届けてほしい。

野球でしか伝えられない喜びがあるのだから。

 

気が付けば野球中継はもう終わっていて、テレビからはMr.ChildrenのニューアルバムのCMが流れた。
人も、野球も、時代も変わっているのに、桜井和寿の歌声だけは24年前からずっと変わっていないような気がした。

※この話は村瀬秀信「止めたバットでツーベース」(双葉社)にインスパイアされて書きました

※基本的にフィクションと思っていただければ幸いです

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November 14, 2018

野球は人生に似ている~ 村瀬秀信「止めたバットでツーベース」

野球が好きな人へ。
野球を見るのが好きな人へ。
人生の機微を感じさせる文章が好きな人へ。
人間が好きな人へ。

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○「止めたバットでツーベース」村瀬秀信(双葉社)

村瀬秀信による野球作品を集めた選集。

村瀬さんは野球「だけ」を書かない。
「野球をめぐる人々」の物語を書く。

第1章、『君は近藤唯之を知っているか』

かつて近藤唯之というライターがいた。
野球を題材にした本を何冊も出していた。

いま、書店に近藤唯之の本は並んでいない。ほとんどが絶版か品切れになっている。

学生野球をやっていた近藤は「野球をする」側をあきらめ、「野球を書く」側に回る。
組織の指示よりも「独自取材」を徹底する近藤は周囲の理解を失いながらも珠玉の原稿を書き続け、本を出し続けた。
独自の言い回しと浪花節のようなドラマを絡ませた“近藤節”で数多くの読者を魅了した名ライターにも、やがて晩秋の季節がやってくる。
物書きの栄華と衰退を描いたこの作品は、最後に映画のようなドラマが待っている。

第6章、『ヤクルト芸術家』。

画家・銅版画家、ながさわたかひろ。
雑誌「美術手帖」に連載を持ち、岡本太郎現代芸術賞特別賞を受賞している彼は、2010年から愛するスワローズの試合の名場面を銅板に描き、それを紙に刷り出し、カードにして球団に届ける、という活動を始めた。
それは特定の試合だけではない。公式戦全試合である。全試合観戦し、自分で「今日一番のプレー」と思った場面を試合後から銅板に描きだし、完成させて翌日球団に届ける。

それは金銭の発生しない無償行為である。
シーズン中は試合があれば休みなく描き続けることになる。

彼は自分をながさわ“選手”と自称し、「スワローズの一員」と自認する。
ひたすらチームへの“愛”を形にして作品にしていくが、やがて活動を続けていくことが難しくなる、大きな転機が訪れる…。

第17章、『PLチャーハン』。

野々垣武志は中学生の時に見た桑田・清原のKKコンビに憧れ、1987年にPL学園に入学する。
ショートを守る野々垣の2年先輩に立浪和義、1年先輩に宮本慎也がいた。
あまりに過酷な寮生活に野々垣は何度も脱走し、そのたびに周囲に説得され寮に戻ることを繰り返しながら、野球部に残った。

卒業後、野々垣はドラフト外で西武ライオンズに入団する。
結果が出ず、広島、ダイエー、そして台湾と球界を渡り歩くが、ついに球団から解雇を宣告される。
路頭に迷う野々垣に「なあ、俺の運転手兼マネージャーをやってくれんか」と声を掛けたのはPL学園の大先輩で、後年ライオンズのチームメイトになった清原和博だった。

しかし、清原はそこから苦悩の時期を迎えることとなる。
野々垣、清原、二人が迎えたそれぞれの人生、それぞれの軌跡。

 

18+αの物語で「野球を見る人」「野球をする人」「野球をする人を育てる人」の物語が描かれる。
そしてなぜ表題作が最後に収められているのか、なぜ『村瀬秀信 野球短編撰集』という改まった呼び方の著作集を出すことになったのか、最後まで読むと「ああ、そうだったんだ…!」という一つの答えが明かされる。

読んで思う。

野球の結果は人生に反映されない。けど、野球は人生そのものであったりする。

わたしたちはなぜ野球を見るのか。
なぜ野球が好きなのか。

その答えが、この本の中に書いてある。
すべての野球ファンに読んでほしい。

「野球は人生に似ている。こちらの意図など関係なく、球の行方は神のみぞ知る。
止めたバットでツーベースになることもあれば、ベストを尽くした最高のバックホームが目の前で大きくイレギュラーしてしまうこともある。
勝った負けたなんて結果は一瞬の幻。
僕らは目の前のこの試合に、ああだこうだ言いながら、命を燃やすことができればそれでいいのだ」
(表題作「止めたバットでツーベース」より)

October 29, 2018

『あまり売れてないけど面白い本』フェア」、延長します

現在開催中の「出版社の人が選んだ『あまり売れてないけど面白い本』フェア」、ご好評につき11/17(土)まで開催延長することにいたしました。

通常フェアは開催一か月を経過すると売れ行きが落ちるのですがこのフェアは10月以降もずっと好調です。
先日は北海道にお住まいの方から「通販をお願いできないか」というお問合せがあり、「書名を明らかにしないでいいのなら」という条件でご注文を受け、お送りさせていただいたこともありました。
本当にたくさんの方々に興味を持っていただき、ありがたいことです。

私自身も3作品ほど読みましたが、どれも面白かったり、よかったなーという内容でした。
なかなかない本との出会いの形だと思いますので、引き続きよろしくお願いいたします。

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October 01, 2018

『普通』を奪われた人生から『普通』を取り戻すために ~「人殺しの息子と呼ばれて」

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○「人殺しの息子と呼ばれて」張江泰之(KADOKAWA)
表面化した事件の中ではおそらく戦後もっとも陰惨な殺人事件であったと思われる「北九州連続監禁殺人事件」。
その犯人の息子と接触したフジテレビディレクターによる取材記。
 
犯人の息子である『彼』がどのような人生を送ってきて、今はどうしていて、事件や両親、社会に対してどう思っているかが著者とのインタビューで明かされる。
読んでいて、お腹が苦しくなるようなほど重い。
本当に重い。
コメントが出てこない。
 
「大変だったね」がビルの2階から落ちた人にかける言葉としたら、この人は30階くらいから落ちている。
かける言葉はない。
「よく、生きてきたね」くらいしか。

7、8歳でよくわからないまま殺人の手伝いをさせられ、満足な食事も与えらず自由も奪われ、暴力から逃れられない世界で、電気を体中に通される……。
幼少からずっと「心安らげる世界」がないまま成育した人間が、通常の「人間の世界」に入るにはここまで苦しくなるような経験がないといけないのか。
とにかく読んでいて苦しい。
 
 
私は、自分がわりと悪趣味な人間で、悪趣味な本とかにも耐性がある気がしたが、この本の後半に出てくる収監中の母親が送ってきた手紙の文面を読んでるうちに本当に気分が悪くなった。
どんなホラー小説とかでも、比喩的表現ではない、文字通り「気分が悪くなる」ことはなかった。
しかしここに出てくる母親のこの手紙だけは読み出したら胸の奥から“不快の塊”みたいなのが逆流してきて、本当に気分悪くなった。
ここは読めなかったし、正直もう読みたくない。
恐ろしかった。人間が、恐ろしい。
 
事件当時9歳で保護された『彼』は現在20代後半になっている。
詳細は明かされないが正業に就いている。
本当に、普通の幸せを享受してほしい。
 
異常な生育環境で育ってしまった『彼』はその「普通の幸せ」を受け止められる心理体勢になるまでがまず大変なのだが、いいことがたくさんあってほしい。
無理なことかもしれないが、事件の残像から少しでも離れた忙しさと大変さにまみれてほしい。
それが一番事件から距離を置ける手段だろうから。

September 18, 2018

テレビの虚実と誠実  ~若林正恭「ナナメの夕暮れ」

若林正恭「ナナメの夕暮れ」にこんなエピソードが出てくる。

 

ある時、若林は「ゆとり世代」「ロスジェネ世代」「バブル世代」「団塊世代」と出演者を世代別に分けて討論し合う番組に出演した。
若林自身は「世代を分けることに何の意味があるだろう」と思っていたという。

途中、「ゆとり世代」の席にいたモデルの男の子が「僕は女性に興味がない」「恋愛も結婚もしない」と発言し、スタジオは「草食系ならぬ絶食系だ!」と騒然とした。
彼は太りたくないので一日一食しか食事をせず、それもお菓子しか食べない。肌の白さを保つために日傘を差して歩く、という。

若林は内心「コメントを求められたらどうしよう」と思っていた。
「好きにすればいい」という感想しか浮かんでこなかったからだ。特に法を犯してるわけでも、他人に迷惑をかけているわけでもない。好きにすればいい。

他の出演者が彼に対しコメントしていく中、司会者からコメントを振られた若林は苦し紛れに「好きにしたらいいと思う」と言う。
すると他の共演者から「一番冷たい!」と突っ込みを受けた。

収録後、ある先輩タレントが若林に「好きにしたらいい、は無いよ」とダメ出ししてきた。
若林は素直に「すみません」と謝る。
すると先輩タレントはこう言った。
「俺たちだって本音を言えばそうだからさ」

 

テレビはポリティカルコネクトネス、有用性のある情報、エンターテイメントを並立させてできている。
若林の回答は人としてはまったく正しい。
しかしテレビエンターテイメントとしては「あれは無いよ」という評価になる。
その先輩タレントは自分の本音を押しつぶして、エンターテイメントを演ずる。

テレビバラエティは「正論」を言えば正解ではない。
見ている人に笑ってもらったり、「へええ」と思ってもらえなければいけない。
「まあ、そうだよね」はテレビでは正解にはならない。
若林と先輩タレント(いったい誰だろう)のこのやりとりは、テレビ、ひいてはメディア全般を通したときの「正論」の置かれ方を考えさせる。

 

このエピソードは「企業>国>個人」だった時代が「個人>企業>国」に変わった、とする社会論を番組で聞いた若林がそれを実感するエピソードとして挙げている。

エッセイではこのあと若林が、モデルの彼の言動が実は「自身のイメージ(若い女性ファンに対する)セルフプロデュースだったのではないか」と疑う。
実際はどうあれ、「そう見られたい」というための発言だったのではないか。
そうだとすればモデルの彼にとって大事なのは「企業」でも「国」でもなく「個人」あるいは「個人の夢、目標」であり、彼の未来を担保するものはそこにしかない以上、それは当然のことではないか、と見ている。

 

若林はその上で「自分は彼に何を言うべきだったか」を問い返し、そしてある言葉が浮かんでくる。
それがなんという言葉だったかは、実際にこの本を読んで確かめてもらいたい。
若林の人柄がにじみ出ているコメントである。

 

○若林正恭「ナナメの夕暮れ」(文藝春秋)

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«誰にも言えない家族の闇 ~島本理生『ファーストラヴ』