April 05, 2018

大事なものは、なぜ失ってから気づくのだろう― 窪美澄「じっと手を見る」

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○窪美澄「じっと手を見る」(幻冬舎)

素晴らしかった。
中盤から後半にかけての展開は読みながら体温が高くなるのを感じた。
人が年を重ね、ぼんやりとした夢から逼迫した現実に否応なく向かい合い、若さと情熱が削られていく過程で、それでもなお人に温かく接することのできる人間の美しさを、この小説はあふれるように描いている。

人生はうまくいかない。
家族と地元は厄介なものとしてずっとつきまとう。
恋はいつまでも甘くないし、愛は次第に重みに代わる。

海斗も、日菜も、真弓も、宮沢さんも、失ってばかりいる。
若さを失い、家族を失い、恋を失い、家を失い、夢への情熱を失っていく。
そしてその多くは我々もまた似たようなものだ。

それでもなお我々が生きているのはなぜなのか。
そのことの答えがこのエンディングには込められているような気がする。

表題作「じっと手を見る」で捨てられるとパニックになった裕紀を海斗が手のひらにある生命線を星座としてマジックでなぞって落ち着かせるくだりで泣いた。
窪さんはあのエピソードを創作で考えたのだろうか。
あそこはすごいと思った。

いつまでもこの小説は本棚の中に大切な一冊として置かれ続けると思う。

「仕事は目をつぶっていてもできる。食事もとれるし、眠れないということもない。
けれど、ある瞬間ふいに気づくのだ。
親知らずを抜いたあとの歯茎のように、舌で触れたときだけわかる大きな穴が、自分のなかに空いていることに」
(「よるべのみず」)

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March 23, 2018

何も見えない、闇の世界を旅して見えてきたもの―― 「極夜行」角幡唯介

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○「極夜行」角幡唯介(文藝春秋)

 

北極圏、南極圏など高緯度の極地には24時間ずっと日が沈まない白夜という現象がある。
同時に、24時間ずっと太陽が昇らない極夜という現象もある。

探検家の角幡唯介さんはこれまでチベット奥地の人類が足を踏み入れていない深山峡谷に単身入ったり、ネパール雪男捜索隊に参加したり、といった活動をしてきた。

しかし地球上のどんなところもGoogleEarthで見られる今、「未踏の地」という空白地帯を埋めることにどれほどの意味があるのか?という疑問を抱く。

そうして角幡さんが考えた「現代の冒険」とは、「日常というシステムから脱却した世界の深淵に触れること」だった。
そこで大学時代に読んで衝撃を受けた本『世界最悪の旅』に出てくる、極夜探検の話が頭をよぎった。
20世紀初頭、南極点到達競争に敗れ隊員が全員死亡するイギリスのスコット南極探検隊の悲劇を描いた物語だ。

 

「その本の中で、極夜の時期に40日ぐらい冬の南極を旅する話があるんです。たぶんそれがすごい印象に残っていて。昔の極地探検の話って、今みたいに飛行機がなかったから船で行って、冬の間は必ずどこかで越冬するんです。その間行動しないで、船の中で橇を作ったり毛皮服を縫ったりとか準備する。で、太陽が昇ってくるわけです。『ああ、3カ月ぶりの太陽だ』といったことを言うわけです。そういうのを読んでいるうちに、『3カ月太陽が昇らないとか、何それ』って、ずっと思っていたんです」

「憂鬱で大変で過酷で、しかも寒いから、悲惨な世界だなとは思うけど、地球にそんな場所があるんだ、みたいな。太陽が3カ月間も出ないで、それで昇ってきた太陽を見た時に人は何を思うんだろうとか、漠然とした好奇心があったんです。それで、最初に北極に行こうと思った時は、極夜がいいなと思ったんです」

(角幡唯介「『極夜』という探検の哲学」)
www.marmot.jp/kyokuya/vol1.html

 

北極圏、グリーンランドの最北部。
住む人間もいない、ひたすら氷とツンドラに覆われた地帯。
冬になると太陽は昇らず、薄明かりもなく、24時間完全な暗闇に包まれる氷の世界を角幡さんは一匹の犬とともに約3ヶ月間旅する。
3ヶ月間、光を失った世界を旅したあとで太陽が昇るのを見るとき、人がまず思うことは何なのか?

これまでと違ってやや観念的なテーマと思いきや、天候によっては氷点下40度近くまで下がる極北の僻地探検は予想以上に危険なものだった。
暴風を超えた爆風吹くブリザードの中に設営した極地用テントのポールが折れる場面、朝起きたらテントが雪に埋まる場面、さらに数々巻き起こるアクシデント。

本が出てる時点で「最終的に角幡さんは生きて帰っている」とわかっていても「これどうなるの!?」と思わずにはいられない出来事が頻発する。

そして人類にとって光とは何か、なぜ古来の人々は星座の物語を作ったのか、そして光を失った地帯で角幡さんが見たものは―。

 

誰にもできない、誰もやらなかった角幡さんの旅を追体験し、「やばいなこれ…」と思いながら、我々はその向こうにある『なぜ人は生きるのか』というテーマを否応なく考える。
ここには普段私たちが考えなくなった、「システムの外側に出た」人にしかわからないことがたくさん書かれている。

 

「完璧だ。あまりに完璧だ。俺は天才なんじゃないかと思った。(中略)考えられるかぎりで最も困難な環境での神業的ナビゲーションとして結実したのだ。
私は興奮していた。ここまで完璧に小屋に着けるとは、今回の俺は冴えている。

このときはそう思っていた。」(「闇迷路」より)

March 12, 2018

「さよなら、田中さん」

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○「さよなら、田中さん」鈴木るりか(小学館)
 
貧乏な母子家庭でありながら明るく育つ小学六年生の田中花実さんを中心にした連作短編小説。

まずなにより「作者が14歳」という点に震撼する。
よく出来てる、を通り越してすごい。
すごい、しか出てこない。
14歳ってもっと頭の中はパーなんじゃなかったかな…自分がそうだっただけかもしれないけど。

建築現場で働きながら娘の花実さんを育てたお母さんは「食べ物をくれる人がいい人」という考えで一貫している。
何よりの喜びは近所のスーパー「激安堂」で寿司が半額になっている時。
そんな貧乏家庭で育った花実は小学六年生のクラスに蔓延する周りの空気に流されず、独自の視点で級友たちと接していく。

表紙に引きずられてしまってる部分があると思うが、西原理恵子の描く貧乏家族作品(『ぼくんち』など)に近い世界観がある。
小学生たちの会話に憧れの場所として登場する『ドリーミングランド』(もちろんモデルは千葉のアレだろう)が象徴する「お金で得られる喜び」と、お金とは関係なく日々の生活で得られる喜びの対比が見事。
最後の短編として収録される「さよなら、田中さん」だけは花実のクラスメイト・三上君の視点で描かれるビターな話だが、そのビターさがほんわかしがちな作品世界でよいフックになっていた。

そして小学六年生って、子供と大人の中間にいる微妙な時期なんだなーとあらためて思う。
大人の悪いところを真似して、大人と同じように消費の欲求に流されながら、常に大人を冷静に観察している。
12歳は恋愛とか出てこない代わりに「親の経済力の差や、むき出しになった周囲の攻撃感情から発生する自分の不平等さを受け入れる」時間なんだなーとしみじみ思った。

この六年後、18歳になった田中さんと三上君の物語を読みたい。

(H)

February 05, 2018

2/25(日)営業します

現在日曜日を定休日とさせていただいていますが、2/25(日)は「染めの小道」という街イベントのため下記時間で営業いたします。

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伊野尾書店

January 17, 2018

『死にたい夜にかぎって』を読んで思い出すこと

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『死にたい夜にかぎって』爪切男(扶桑社、1/25発売)


「赤地に黒の水玉模様が入ったシャツに短めの黒のスカート。テントウムシみたいな服装をしたこの人が、私の初体験の女性になるのだ。
緊張と期待が入り混じった声で呼びかけた。
『すいません、あの、ミキさんですか?』
パッと顔を上げた彼女の顔は、悪役プロレスラーの冬木弘道によく似ていた。
太陽の光が目に入ったふりをして、一度目を閉じてからもう一度目を開ける。冬木がそこにいた」

『死にたい夜にかぎって』は爪切男(つめきりお)さんの体験をもとにした私小説だ。
(「爪切男」はペンネームである。どうしてそんな名前なのかはこの本を読んでもわからなかった)
 
爪さんは普通の人よりも少し変わった体験をいくつもしている。
二十歳の時、どうしても女性とセックスがしたいと考えた爪さんは出会い系サイトに「童貞をもらってください」と書き込む。
からかいや誹謗中傷に混じって、「私でよければ」というメールが一通届く。
「ミキさん」というその女性は障害があり、車椅子に乗っていた。
冒頭に紹介したのは、そのミキさんと最初に出会う場面である。
 
爪さんの文章からは、青春の匂いがする。
清く、美しい青春ではない。
どちらかといえば泥にまみれた、汚れた青春だ。
にもかかわらず、かつて下世話な情報を掲載するメールマガジンの編集長をやっていたという爪さんの文章は美しい。
「やらしさも汚らしさも むき出しにして走ってく」というTHE BLUE HEARTSの歌詞を思い出す。
私は昨年の誕生日で43歳になった。
どこを切っても中年だ。
小さな子供がレジに本を持ってくるとき、付き添いの親御さんやおばあさんに「ほら、“おにいさん”に渡して」と言われることはすっかりなくなった。
人生の折り返し地点はもう過ぎた。
青春と呼ばれた日々はもう遠い。
 
けれど『死にたい夜にかぎって』を読んでから、ふとした瞬間に昔のことを思い出してしまう。
思い出すのは、だいたい昔好きだった女の人のことだ。
楽しい思い出もあったはずなのに、印象に残ってるのは振られた時や、別れ話を切り出された時の光景だったりする。
今では“少し苦い”くらいになったそんな思い出を飴玉をなめるように心の中で転がしてると、少しずつ溶けて霧散していく。
青春とは、「結局手に入らなかった時間」のことを言うのかもしれない。
 
爪さんはアスカさんと新井薬師に住んでいたという。
私の住む中井からは西武新宿線で隣駅だ。
私たちのまわりには、いくつもの素敵な話が転がっている。
ただ私たちは、それを絶望的なまでに知らない。
 
「ぼくは最近、思うんです。好きな子とセックスできたときが、人生でいちばんすばらしかった瞬間なのだと。あれ以上のよろこびを、ぼくはほかに知りません」
(最近友人からもらったメールから抜粋)
 

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