ずっと後ろに通り過ぎてしまった記憶の中に
高校三年生の冬に、私ははじめてアルバイトをした。
自宅の最寄駅から電車で2つ目の駅を降り、坂道を5分ほど上がったところにあったファミレスで週に3回、白いキッチンコートに着替え、厨房でドリアやサラダやその他いろんな料理を作っていた。
もともと、高校のクラスメイトが「一緒にバイトしねえ?」と言ってこなかったら、自分はここにいなかった。
二人で面接を受けに行き、先に終わった自分が後から出てきた彼に「俺キッチンになっちゃったよ。おまえは?」と聞くと、彼は「ああ、ここ稼げなそうだから俺はやめたわ」と何の気なしに言った。
この寄る辺ない気持ちを「梯子を外される」と表現すると知るのはずっと後のことだ。
初めてのアルバイトは初めての社会経験だ。
職場に入る際の挨拶の仕方を教わる。
タイムカードの切り方を教わる。
同じ時期に入ったアルバイトであっても、彼にはできるのに自分にはできないことがあるというのを教わる。
同じ失敗をしても「何してんだおめえはー!」と言われる自分と「それは間違えやすいから気を付けてね」としか言われない女の子がいることを教わる。
職場には同年代の女の子がたくさんいた。
女子といえば30歳くらいの音楽の先生と売店のおばちゃんしか知らない男子校に中高合わせて6年間通っていた自分にとって、オレンジの制服に身を包んだ10代後半から20代前半の彼女たちは、直視できないほどまぶしかった。
直視できないから下を向いていた。
うつむいてはいるけど、意識は始終そっちに向かっている。
すでに彼女らと仲良くしゃべっている自分より年下の同僚がいるのに、自分はどうやって彼女らとコミュニケートしていいかがわからない。
なにしろこっちは与えられた仕事もちゃんとできないで怒られてばかりいるのだ。
職場のヒエラルキーの中で最底辺にいるという自覚が、外部に対して壁を作る。
グズグズになった小さなプライドを守るため、本当はものすごく彼女たちを意識しているのに、さも眼中にないような態度を取っていた。
そんなある日、休憩室で一人まかないのクラブハウスサンドを食べていると、社内用語でフロアーと呼ばれる、いわゆるウェイトレスのタナカさんが同じく休憩で入ってきた。
タナカさんは21だったか22歳のアルバイトだったが経歴が長いのか、フロアー部門のチーフのような仕事を任されていた。
それほど背は高くなく、むしろ低い方で、特に太ってはいないが際立ってやせてもいない体型で、卵型の輪郭に細い眼をしており、ピシパシした普段の仕事ぶりと相まって若干キツそうな印象を持っていた。
6人座れる休憩所のテーブルの端で黙々とクラブハウスサンドを食べている私の対角線上の席にタナカさんは座り、こちらをチラッと見てからは資料のようなものに目を落として黙ってコーヒーを飲んでいた。
すると突然「サンドイッチまずいの?」という声がした。
タナカさんの声だ。
顔をあげると、タナカさんがこっちを見ていた。
「…いや、まずくはないです」
「そう?なんかすごい怖い顔して食べてるから、よっぽどまずいのかと思った」
「そういうわけではないです」
「いっつもそういう顔して食べるの?」
「いや、違います」
「じゃあ普通に食べたら」
タナカさんはそう言うと煙草に火をつけた。
煙草吸うんだ、と思った。
煙草を吸う女の人を初めて見た。
タナカさんはそれ以上は自分に何かを話しかけることもなく、黙って煙草を右手にはさみながら資料を見続け、たまにコーヒーを口に運び、そのうち「お先」とだけ言って休憩室を出て行ってしまった。
私はずっと、女子の前では「引き締まった表情」を心掛けているつもりだった。
男というのはヘラヘラしているより、引き締まった顔をしている方がカッコいいものだと思っていた。
けれど、私が「引き締まった表情」と考えていたものは、単に「不機嫌な顔」にしか映っていないことを、その日私は教わった。
そっか、俺そんな怖い顔してるのか、と考えるのは失意だった。
そして自分がワケのわからないカッコのつけ方をしていたことを見透かされた気がして恥ずかしかった。
だが、翌日からバイトに行ってタナカさんに会うと「イノオくんは今日もクラブハウスでしょ?」って言われるようになった。
バイトに行くたびに言われた。
そのたびに私は「いや、別に毎回あればかり食べてるわけじゃないです」と馬鹿正直な答弁を繰り返していたが、あまり何回も言われるので他の人が「なんで伊野尾はクラブハウスサンドなの?」と聞かれたりするようになった。
それがこちらはとても嫌で、「この人なんで人前で言うんだろう」「やめてくれないかな」と思っていたが、タナカさんはなんか面白そうだった。
それをきっかけに私は誰かといるときに「引き締まった表情」を作るのをやめて、なるべく不機嫌に見えないように、不機嫌に見えないように、と心がけるようになった。
私がアルバイトの女の子たちと普通に話せるようになったのは、それからしばらくたってのことだ。
「マスタード・チョコレート」は人とかかわることが苦手で、いつも孤独感を抱える女子高校生・つぐみが周囲の人たちの関わり合いによって少しずつ変わっていく物語だ。
明確な意思をもってつぐみに関わる人、なんとなく流れでつぐみに関わる人、それほど数は多くないが少なくもない人たちに関わられ、関わっていく中で、つぐみは人生の喜びを少しずつ得ていく。
きっと誰でもそうだ。
誰でも、自分を変えてくれた人がいる。
ただそのきっかけは小さく、あまりにささいなことだから、人はみな忘れてしまう。
もしあのとき休憩室でタナカさんが話しかけてくれなかったら、今も私は下を向いたままだったかもしれない。
意識していないようで誰よりも意識しているねじれた自己顕示欲を持て余して、「話しかけるな」オーラを出し続け、他人とうまく関われなかったかもしれない。
だから私はタナカさんに感謝してもしきれない。
タナカさんは私があまり怒られなくなってきた頃、ひっそりといなくなっていた。
異動だったのかもしれないし、退職だったのかもしれない。
気がついたらいなくなっていた。
「あのときのタナカさんの休憩室の一言があるから今の自分があります」と御礼をキチンと伝えられぬまま、タナカさんと会う機会はなくなってしまった。
もしかしたら今はもうこういう時代なんだから、どっかしら連絡先を調べて言う方法があるかもしれない。
そう言う人もいるかもしれない。
だが、それはできないのだ。
私は、18歳の私を救ってくれた人の名前が、はたしてタナカだったか、スズキだったか、はたして違う名前だったのか、今もって正確に思い出せないのだから。
○「マスタード・チョコレート」冬川智子(イースト・プレス)










