December 12, 2017

「この地獄を生きるのだ ―うつ病、生活保護。死ねなかった私が『再生』するまで。」

小林エリコさんは短大卒業後に就職浪人を経験し、ようやく仕事を見つける。
エロ漫画雑誌の編集職だった。
やらないといけない仕事があまりに多く、働いても働いても終わらない。
その分の残業代はつかない会社だった。
社会保険も入れてもらえず、ボーナスもない。
月給は12万円。
固定で、どれだけ働いてもそれ以上増えることはない。
 
常にお金が手元にない。
お金がないことは、日々の支出に多くの制限をつけなくてはいけないということだ。
そんな状態にありながら、今日も朝から深夜まで働かなければならない。
小林さんは次第に心が耐えられなくなってくる。
精神科の医者に行き、処方された薬を飲むようになる。
あるとき、ついに耐えられなくなり、アルコールと一緒に余っていた向精神薬をまとめて飲む。
小林さんが意識を取り戻したのは、病院のベッドの上だった。
傍らに両親がいるのを確認して思った。
「ああ、私は死ねなかった」
 
そしてここから、小林さんはいろいろなものを失い始める。
仕事、精神の安定、一人暮らしの部屋、一人の時間。
そして生活保護の支給と引き換えに、自由を失う。
わたしたちは普段あまりにも意識していない。
自分の生活が、精神が、ちょっとしたことで崩れ去ることを。
崩れ去ってから、「普通に暮らす」と呼ばれている元通りの場所に戻ることがいかに至難なことであるかを。
 
『この地獄を生きるのだ』には圧倒的な「地獄」が描かれる。
心を崩したらそれで終わりじゃない。
実家に戻ったからといってそれで終わりじゃない。
底がないこと、終わりがないこと、戻る世界に戻る道が見えないこと――ここでいう「地獄」とはそういうことだろう。
そしてこの地獄は、ちょっとしたことで誰しも落ちる可能性がある。
 
そんな地獄から、小林さんは再生する。
奇跡的、とは呼びたくない。
巡り合わせの幸運はあれど、基本的には再生するために、「普通の生活」に戻るために、やれることを一生懸命やったからこそ再生できたんだと思いたい。
小林さんがどのようにして再生できたか、読んでほしい。
 
「地獄」だった人生が「捨てたもんじゃない」に変わっていく。
「地獄」が誰しも落ちる可能性があるところならば、「天国」もまた誰でも昇れる可能性がある。
人生において絶望と希望はいつも同じ箱に入れられている。
たまたまその両方を見た、稀有な記録がここにある。
 
「仕事とはこの社会全体を人々がうまく回していくことだと思う。自分がホチキス留めした資料もこの社会を回すための役に立っているのだ。その証拠に、対価としてお金が発生する。自分がこの社会で必要とされているという実感は、私に自尊心を取り戻した」
(第五章「普通に働き、普通に生きる」)
 
「この地獄を生きるのだ うつ病、生活保護。死ねなかった私が『再生』するまで。」小林エリコ(イーストプレス)

https://konojigoku.tumblr.com/
 

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December 05, 2017

何もないところから世界最高峰のブランドを作った男 ~『SHOE DOG』

Shoedog

〇『SHOE DOG』フィル・ナイト著/大田黒 奉之訳(東洋経済新報社)

大学生の頃、「エアマックス狩り」という単語がニュースで話題になった。
ナイキのスニーカー「エアマックス」が大人気になったが品薄で店頭に並ばず、履いている人間を襲って靴を奪い取る暴漢がいる、というニュースだ。
私はファッションに詳しくなかったので、「靴でそんなことになるの!?」という驚きとともにそれによって「エアマックス」という商品名を覚えた。
ナイキというメーカーを知ったのもそのときが最初だ。
 
私はスポーツを見るのは好きだが、自分ではほとんどしない。
スポーツ店に行く機会も少ない。
にもかかわらず「ナイキ」「アディダス」「プーマ」といったスポーツシューズのメーカー名は知っている。
それだけあちこちに広告が出ているということであり、わたしたちの生活を取り囲むものになっているということだ。
『SHOE DOG』はそんなナイキの創業者、フィル・ナイトの自叙伝だ。
『SHOE DOG』とは靴を製作することに没頭してしまう職人のことを指す用語で、意訳するなら「靴バカ」みたいな意味合いだろう。
 
私はスニーカーにも、大企業の創業者自伝にもなんとなく縁遠いものを感じていたので発売当初それほど関心はなかったのだけど、ある人から「いわゆる『俺はこんなに成功した』みたいなありがちな創業者自伝とはちょっと違うので、読んでみてほしい」と言われ、読んでみた。
確かにだいぶ違った。
書かれているのは「こうして会社を大きくした」というよりは「学生時代に陸上競技をやっていた流れからなんとなく運動靴を売ることを生業にすることにした若者」の人生録だった。
 
 
フィルはオレゴンというニューヨークやシカゴから見たら田舎町に生まれ、高校で野球チームに入ろうとしたら追い出されてショックを受ける。
代わりに仕方なく…といった感じで始めた陸上競技に彼は熱中し、大学まで続ける。
その時に知った日本の運動靴(オニツカタイガー)に可能性を感じながら、証券会社のセールスマンをやったり、ハワイで百科事典のセールスマンをやったり寄り道した末に、フィルは日本へ行く。
そして神戸のオニツカ社をアポなしで訪問し、アメリカでこの靴を売りたい、という話をする。
オニツカの担当者はフィルに言う。
「ところで、あなたの会社はなんていう会社ですか?」
この時点でフィルは自分の所属先などなかった。
フィルは自分の部屋の壁に飾られている、陸上競技で勝ち取ったブルーリボンのことを思い出してこう言った。
「私はブルーリボン・スポーツの代表です」
 
 
現在売り上げ300億ドルというナイキの第一歩は、出まかせから始まった。
 
何度か、会社の息の根が止まりそうな瞬間のことが描かれる。
この本をこうして出せてるのだから、最終的にはなんとかなったんだろう…と思いながら「え?これ…どうするの?」というトラブルやアクシデントが創業以来、何回か起きる。
そのあたりの話は冒険ノンフィクションのようだ。
科学や開発の進化で冒険とか探検が成立しにくくなった現代では、「会社を新しく作る、維持する、大きくする」というのはそれに近いことなんだな、と実感する。読んでいてハラハラした。
 
そして会社の窮地が訪れると、フィルはだいたい外に走りに行っている(6マイル=9.6キロも走るらしい)。
人間、悩んだら身体を動かすことが一番なのかもしれない。
私もスニーカーを買って、明日から走ってみようと思う。
エアマックスにするかどうかはともかく。
 
(H)
 

December 02, 2017

降伏の記録

○「降伏の記録」植本一子(河出書房新社)

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「かなわない」「家族最後の日々」に続く植本一子さんのエッセイ3冊目。
正直、「そろそろもういいかな」という思ってしまい手つかずにしていたら読んだ人から「これは読んだ方がいい」と言われ読みました。
そしてそれは正しかった。

この本は植本一子三部作の最終章なんだと思います。

植本さんのエッセイはすべて同じフォーマットで成り立っています。
家族と自分をめぐる日常の身辺雑記が続き、そこに突然爆弾のような告白が落とされる。
テンションは変わらない。ただ書いてるモードがまったく違ってる。
内容はまったく異次元に変わってるのに、同じテンションで語られるギャップに動揺させられる。

今回も同じような作りです。
違うのは、日常雑記のパートからすでに不穏の種がそこかしこに落ちていることで。
そしてそれは終盤落とされる(よくこれを書くなあ…)という爆弾に静かに向かっていくのですが、すでに爆弾の導火線が見えていた分、今回はまったく予想できないものではありませんでした。

ただ、思ってることと、それを本に書いて公に発表することはまったく別の次元であって、それを表に出してしまうことに植本さんの物書きの業を禁じ得えなかったです。

共感するにせよ反発するにせよ、誰しもどこかに引っかかりを覚える作品ではないかと思います。
多くの人から感想を聞きたいです。

http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309026206/

November 28, 2017

12/24(日)営業します

伊野尾書店は現在日曜日定休ですが、12/24(日)は営業します。
(11:00~20:00営業)
 
よろしくお願いいたします。

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November 25, 2017

2011年の棚橋弘至と中邑真輔

『1976年のアントニオ猪木』『1964年のジャイアント馬場』そして『1984年のUWF』と日本プロレス史をこれまでなかった観点から照射する柳澤健氏がついに現代プロレスを題材にした初の著作を出しました。
それが 「2011年の棚橋弘至と中邑真輔」。

なぜ『2011年の棚橋弘至』でも『2011年の中邑真輔』でもなく『棚橋弘至と中邑真輔』だったのか。
この本を読むと棚橋の軌跡は中邑によって作られ、中邑の軌跡もまた棚橋なくしては作られなかった、ということがよくわかります。

2011年は中邑真輔が「クネクネ」と呼ばれる現在のスタイルを始めた年です。
それが生まれた背景には当時の新日本プロレスの状況と棚橋弘至との関係が深くかかわっている。
それは中邑がずっと大事だと思っていたものを手放して、別の大事なものを手に入れる物語でした。

これはプロレスに限らず会社や学校もそうだと思いますが、人は組織の中に放り込まれるとその組織の中で生きていくのに最適化したキャラクターになっていくものです。
中邑真輔が入団した頃に総合格闘技ブームが無かったら、第三世代に光り輝くスターがいて棚橋がずっと上にいけなかったら、何よりお互いがいなかったら、二人ともまったく違ったレスラーになっていたんだと思います。
タイミングと人の縁で人生は変わる。
そんなことを二人のプロレス人生を通して考えさせられます。

○ 「2011年の棚橋弘至と中邑真輔」柳澤 健(文藝春秋)

2011

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